入院して1年経つ人に渡したドライフラワー
去年の春頃に隣人が入院した。
すぐ戻るだろうと思っていた。
その願いは叶わなかった。
気付けば1年が経っていた。
1年間の入院生活がどれほど苦しいか。
母方の祖母を観察したコトがあったので容易に想像が付いた。
私の記憶はあの時の生き生きした隣人の姿しか思い浮かべない。
情報が入って来ないのだ。
(私はあえて誰か特定されない為に隣人と形容している)
情報が入って来ないコトがどれほど恐ろしいか。
自分の家族よりも仲良くさせて頂いた時期があったから。
何故、情報を隠すのか。
沢山想像したけれど、想像すればするほど恐ろしい病名ばかりが頭に浮かぶのだ。
隣人が好きな色は水色だった。
水色のドライフラワーと綺麗な瓶に入った飴のお菓子。
その人が口に含むコトが出来なくても美しいままで保存される物を選んだ。
辛い時に、メッセージを貰うと、私は返答するのに時間がかかるタイプで、その人とコンタクトを取れる情報を持ってはいたけれど、私はあえて情報を送らなかった。
家族は愛のあるメッセージ成る文を送っていたけれど、私は勇気が出ないのだ。
このメッセージを送るコトで相手に返答を促すようなコトはしたくは無かったから。
言葉より、無限の解釈が出来る水色を、送りたい。
送りたかった。
そう言えば明日は別の隣人のお別れ会だ。
生きるコトの方が残酷に思えて、亡くなる人を羨ましく思う。
なんて言葉が無くなるように。
私は明日、生きている人のために泣くのだろうか。
これからも貴方のいない世界を生きなければならない自分の為に泣くのだろう。
亡くなった後に関して気持ちが悪いほど綺麗に形容される世界で。
私は私なりの死の解釈をして、私は生きるのだろう。
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