見出し画像

推しに見た夢

 プロレスが好きだ。生き抜くのがしんどい現実を忘れさせてはくれないが、少し目を背けさせてくれるから。夢を見させてまではくれないし、努力が必ず報われるわけでもないが、想像を凌ぐ努力をして輝いている人がいると教えてくれるから。

 私はプロレスを「ある程度諸々織り込み済みで」見ているので、目の前にお出しされる勝敗そのものについて良し悪しをあまり感じない。どちらが勝っても負けても、「それはそうだったのだ」となる。もちろん、勝った側には、勝つことが許される何かがあることは理解している。力であったり、スター性であったり、話題性であったり。
 だから、そう、私は、プロレスは夢を見させてくれるものだとそもそも思っていないのだ。

 夢を見るのをやめたのは2021年の終わり頃。BOSJ6連勝からの5連敗という結末は、彼はプリンスデヴィッドにはなれないのだと私に思わせるには充分すぎるものだった。ちょうどプロレスを見始めて1年が経ち、わからないながらに少しわかり始めた頃。そのあたりから多分無意識に、プロレスの見方を変えた。
 そこからはすごく楽だった。負けで元々、勝ったら嬉しい。まるで敗者常連チームを応援している開き直った人のよう。そういえばJ2に初めて転落した年の柏レイソルの応援キッツかったな。「織り込むものがない」し「負けはマジの負け」だから、キッツかった。開き直れもしなかったけど、これはプロレスだから。サラリと開き直れて楽しかった。

 団体対抗戦も、トーナメント戦も、リーグ戦も、出てくれてありがたい、怪我なく全試合駆け抜けてくれてありがたい。サッカーの推しは十字靭帯をやって1年棒に振ったし、AEDがなくて帰らぬ人になったこともあった。だからそもそもそこにいて、元気で試合をしてくれるだけで嬉しいのだ。私の観戦メンタル、サッカーで随分形成されてたな 笑
 ベルトを持ってる時は、そりゃ防衛したら嬉しい。でもとられたら「あーそっかあ」で済む。怪我はない。長く休むこともなく、どのシリーズもコンスタントにやってくれている。こんなにありがたい現実はない!ずっとそうだったのだ。だから負けが込むだろうことがわかるような人をタッグパートナーにされても、「あーそっかあ」だったのだ。いいんだよ宇和島で勝ったし。楽しかったしね。

 同じユニットのボスを推してる姉様に「新喜劇を見ているような気持ちで推しを見ている」と話したことがある。「そういう風に見ていないと納得ができないからだよね」と言われた。その通りだ。でも出されたものを変えろとかこれなら金返せというような傲慢な客にはなりたくないし、提出物が嫌なら自分が見なければいい。見方を変えて楽しめるなら、自分がそれをよしとするならそれはセーフだから、ずっとそうしてきた。
 夢を見せてくれない相手に「夢を見せてくれ」と思うのがそもそも間違っていて、ならば「夢は見なくていい」として寄り添うか、夢を見せてくれる相手を探すしかないのだ。私は前者を選んだまでだ。色々をしまい込んで1年9ヶ月が経った。

 パンドラの匣が開いたのは多分、2023年9月24日だ。鍵の形は霧状で、少しアルコールの匂いがした。
 追い風が吹く気配を感じてしまった途端、抑え込んでいたものが噴出した。両国国技館のメインいいな、強そうなタッグパートナーいいな、イッテンヨンでランブル要員じゃないのいいな……。みっともない羨望と憧憬と嫉妬のようなものが出てきてすぐに蓋をした。鍵が開く怖さを無意識にわかっていたから、きっと欠場連絡から神戸の日まで「うちにはきてほしくない」と思っていたんだろう。
 そこからはまた期待しない日々に戻る。正式にタッグリーグ出場が発表されても。本当に何の期待もせず。せいぜい去年よりはいい成績で終わるだろう、程よく勝ち、程よく負け、日本人が大好きな勧善懲悪のテンプレートに、どのタイミングでか乗せられるのだろうと。

 誤算は、そのタイミングが思った以上に遅かったことだ。

 2023年11月2日。ある程度のアタリをつけることは、ある程度心を整理をすること。公式戦最終日まで結果を持ち越してくれるまでになってくれたことに喜びつつ、今日で終わりと思っていた。だって「負けでもともと」だし、同率相手にはぼちぼち負けてるし。本当に全く期待もせず、夢も見ず。全く失礼な話だよね、推しが文字通り身体張って頑張ってるのに結果に期待してませんってのは。失礼なんだけど。役目を全うして、元気に怪我なくリングを下りてくれれば、それだけでいい。それだけでよかったのだけど。
 なんの瞬間だろう、また匣が開いてしまったのだ。言い伝えによるパンドラの匣と同じように、醜悪なもの全てが出切った後に残っていたひとつの期待が口をついた。「なんでもいいから勝ってくれ!!!!」
 誰かより優れていてほしいわけではないし、誰かと比べて素晴らしくあってほしいわけでもない。でも、今この瞬間は他の誰より勝ちに近く力強くいてほしいと。
 結果、文字通りの総力戦で勝ち取った勝利と引き換えに、リングを下りるときに決して「怪我なく元気に」と言える状態ではなくなってしまっていたけど、そこから2日、私は推しに夢を見てしまったのだ。

 そして見た夢の結末はやはり「あーそっかあ」だったし、肝心の決着の瞬間は、その夢を見させてくれた張本人が足元に転がってくるというとんでもない現実を叩きつけられていたのだけど……。夢を見てるから起きる不安や、期待しているからこそ震える手足を久しぶりに感じて、プロレス観戦の初心に戻れた気がした。

頑張れすぎる

 それでも私の基本スタンスは変わらない。やはりプロレスで夢までは見られない。ただ、夢と称するからたいそうに思えるその願いごと達は、風向きが変わった時、それに瞬時に対応できるようになっていさえすれば、全く夢ではないのだなと、そう思えた。
 そこに到達していた推しの努力と鍛錬の積み重ねを、私は心から尊敬している。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?