素直にそのままを書く

そういうコンセプトでやっていきたい。
どんなに文章が稚拙でも、どんなに内容が無くても、思っていることを素直に書くことが大切。
きれいに書こうとしなくていい。きれいに書こうとした時点で、もうそれは本物の自分の文章ではない。伝わればよい。きれいに見せるために装飾してできたものより、そのままの方が、美しい、と今は思う。でも、そのままをより美しく、格好良くみせるための装飾や工夫はしてもよいと思うが。

大森靖子さんの「超歌手」を読んで、今こういう考えに至っている。自分の中でずっと閉じていた扉が開けた感じがする。
現在29歳。文章に限らず、20年近く、わたしは自分を、自分の理想の、誰だか分からないあの人に近づけるよう、無理やり良く見せようとしてきた。
あの人のように、自分も印象良く見られたい。人気者になりたい。
あの人みたいにうまく話せるようになりたい、説得力のある文章を書きたい、あんな風に耳に残るフレーズやリフを作りたい、面白い話のできる人、博識の人に憧れるから、嫌いなもの、興味のないものも無理やり飲み込んで、いざというときに出せるようにしよう。飲み会で、雑談で、みんなが興味を持てる話題を提供するために、流行っているものには敏感に、twitterでFashion Press、ライブドアニュース、他のバズったものはつかさずチェックしよう。
自分の本当の気持ちは隠して、相手に合わせよう。みんなが笑うタイミングで、楽しくなくても笑おう。飲み会も誘われたら何でも行こう。楽しくない飲み会でもみんなの評価を上げたと思って行ってよかったことにしよう。人とコミュニケーションを取らないとどんどんコミュ力落ちるから無理やりにでも、話したくない人とでも話そう。みんなが好きなものが好きになれないから、自分は友達が少ない。話が面白くない。興味がないことが多いのは、地頭が悪いから、親が無趣味だから、親が怖くて嫌々勉強する時期が長かったから、愛媛出身だから。ファッションセンスもない、芸術のセンスもない。心も弱い。顔も中の下くらい。自分の顔嫌い。音楽やってますっていって、できる範囲で頑張って来たつもりだけど、結局何一つ満足いってない。何一つ思い通りにいっていない。満足のいく曲できてない。
こんなつまらなくてめんどくさい自分を誰が好きになってくれるだろう、彼女にはフラれまくる。友達もどんどん離れていく。自分もどんどん女性不信になるし、長い付き合いの友達もだんだん会いたくなくなってくる。ほんと、自分、これからどうしようって思っていた矢先、大森靖子さんの「死神」という曲を聴いて、自分に似たものを感じて、前から気になっていたし、同郷ということもあり、本出してないかなーと思い、ググったら、去年出していた。そのまま車を走らせて本屋へ。栃木の本屋でも「超歌手」置いてた。良かった。と思い、読んだら止まらなくなって、2日で読了。それでいまこれ書いてます。
それで、読んで、何を思ったかっていうと、上に書いた自分はほんとに無駄なことをしていたってこと。自分にできないことをやろうとしていた。自分の得意なこと、好きなことがあるのに、それを伸ばさず、他の人にばかり目がいってしまって、自分の純粋な気持ちが死んでしまってる。嫌いなものが多いなら、好きなこと、自分が正しいと思ったものを伸ばしていけばいい。それで孤独になったとしても、そうしたほうがいい。無理して嫌いなものに対して好きなフリをすることと、孤独になることが、どちらも苦しいなら、自分に嘘をつくより、孤独の寂しさのほうがいい。そっちの方が生き方として正しい気がする。それに、長い目でみたら、というか今もその方が楽だと思う。自分に嘘をつき続けるのはもう限界だ。
わたしも大森靖子さんと同様に、興味を持ったものを深く深く掘り下げて行くタイプで、特に精神面に関してはどんなときも深く考えている、というか何をするにしても付きまとってくるから、どうにかそことバランスを取りながらやっていかないといけない。周りにそういう人いないから、自分だけ変なのかと思ってたけど、大森さんがいた。
笑い、コミュ力、センスとかって人それぞれ考え方違うし、大森さんが言うように、どれもコピペである程度いける。自分もそういうのはつまんないと思うから、周りと合わない。
30手前でやっと気づいた。新しいものを感じて、生み出していかないと、自分の人生は楽しくならない。みんながやってることやったって楽しくならない。みんなができることをできないなら、みんなができないことをできるようになるしかない。みんなができることは60点くらいでいい。みんなができることをやろうとしたせいで、頭は働かないし、言葉も出てこない。自分の思っていることを書くのならこれだけ話せて、頭はすごく活発に動いてる気がする。好きなこと、楽しいことしないと思考は停止する。周りに合わせると思考は停止する。もっと自由に、生きる。

もっと思ってることいっぱいあるのに、文章書く力がなくて、書けなくて辛い。自分みたいな人間はこういうところに書き殴るしかないんだ。ずっと受け身じゃそのうち感性が死ぬから書かなきゃ駄目なんだ。そんで、この文章書けるのは、今、この自分しかいない。

いつか大森靖子さんみたいに、自分の心の奥底を、誰にでも分かるような、細やかかつ豪快で、熱を持った状態で、文に表せるようになりたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?