夢、そして憧れ。〜プロローグ〜
まだ昭和40年代前半、小学1年生か2年生の頃。
わたしは「秘密のアッコちゃん」に憧れていた。
アッコちゃんは、当時のわたしが欲しいもの全てを持っている女の子だったから。
ピンクのヘアバンドにリボンをつけた髪型、赤いミニスカートを着こなすスラリと伸びた脚。
当時のわたしの髪型は「刈り上げ」。
服の色は、白・紺・茶・緑・グレー・えんじが多く、明るい色味の服を着た記憶がない。
それは、男の子が欲しかった父の影響だ。
だから男の子によく間違われていた。
そして、ちょっとポッチャリ。
そんなわたしは、5、6歳にして既にしっかりとコンプレックスを感じていた。
それは、いまでもハッキリ覚えている。
自分とはまるで違うキラキラしたアッコちゃんが大好きで大好きで憧れた。
その上
「テクマクマヤコン・テクマクマヤコン、〇〇になぁれぇ〜!」
と魔法の鏡に向かって呪文を唱えると変身できる。
わたしは、その魔法の鏡が欲しくて欲しくてたまらなかった。
その鏡を手に入れて、アッコちゃんになりたかった。
アッコちゃんがその魔法の鏡を手に入れた経緯は…
ママの留守中に、ママの鏡を割ってしまい【何にでも変身できる】魔法の鏡と魔法の呪文を手に入れた…
確か、そんなストーリーだったと思う。
鏡を割ってそんな素敵なモノが手に入るなら、わたしも手に入れたい!
そう思って実際に鏡を割った記憶がある。
もちろん。
当然のことながら、そんな魔法の鏡も呪文も手に入らなかったし、逆に、母からこっぴどく叱られた。
「アッコちゃんのママならこんな怖い怒り方はしないはず…」
そんな風に思いながら、優しいママを持つアッコちゃんが更に羨ましく、更に憧れた。
そんな訳で、毎週の放送を楽しみにしていたわたしだが、ある放送回は衝撃的だった。
アッコちゃんのパパが登場する回だ。
パパの職業は「豪華客船日本丸の船長さん」
久しぶりのパパとの再会を喜ぶアッコちゃん。
日本滞在のわずかな日にちの中で、アッコちゃんはパパと遊びに行く?約束をする。
でも、何かの都合でパパが約束を果たせず、アッコちゃんが怒ってパパとケンカ?をする…というようなストーリー。
当時のわたしにとって、親は絶対的な存在で、親の言うことに口答えをするという選択肢はなく、そんなことをしたら、鉄拳制裁があるだけだったので、親に言いたい事が言えるアッコちゃんにまずはビックリした。
ましてそれを許す…というか、約束を守れなかったパパが悪い…と、大人が子どもに対して、自分の非を認める姿に衝撃を受けた。
寛容なパパの存在が、この世のものとは思えず、羨ましいを通り越した。
どう表現したらいいのか…
もう、どこを切り取っても自分の住む世界とは違う別世界。
「羨ましい」の金太郎飴状態。
そのパパ。
船長さんらしく制服と帽子をかぶった姿で登場していた。
それがカッコよくてカッコよくて…❤︎
(制服フェチの目覚めw)
もしかしたら、わたしの初恋は、アッコちゃんのパパだったかもしれない。
そして、わたしが『豪華客船』に憧れを持つようになったのは、間違いなくアッコちゃんのパパの影響だ。
それ以来『豪華客船』と聞くとワクワクしてたまらなかった。
それがどのようなものかよく知らないのに。
よく知りもしないのに躍る心…
成長するに伴い『豪華客船』が何たるかを知り、しかし我が身の置かれた現実とその世界の乖離を知り、打ちのめされ封印した。
やっぱりアッコちゃんとは別世界なんだ…
段々と諦めを覚える思春期。
わたしの純粋無垢に躍る心はガラスケースの中で、じっとしている人形のように置き去りにされていた。
それでも、高校を卒業してOLになった時、お稽古事に選んだのは「社交ダンス」だった。
いつか豪華客船に乗った時に踊れるように…と思ったから。
いや…現実と憧れのギャップに諦めがつき、せめてダンスだけは…と思ったのかもしれない。
でも、それも長くは続かなかった。
父にはしたないと叱られ、反抗したかったけれど、
「何のために?こんなこと習ってどこで役に立つの?」
と虚しくなり、「忙しい」を隠れ蓑にしてレッスンをやめてしまった。
それでも、夢は?と聞かれると
「豪華客船に乗ること。」
そう必ず口にしていたが、言った言葉のすぐ後ろには
「どうせ無理やけどね。」
とか
「言うだけタダやし。」
とかセットにして言っていた。
*・゜゚・*:.。..。.:*・''・*:.。. .。.:*・゜゚・*
時代は流れて、2017年。
アッコちゃんのパパをテレビで見てから約半世紀が過ぎ、わたしは55歳になっていた。
その歳、運命を変える出逢いがあった。
それが、今のパートナーとの出逢いだ。
その流れは割愛するけれど、意図せずに出来上がる人生の流れは不思議としか言いようがない。
その彼との出逢いが『豪華客船』という実現不可能な遠い遠い遠い遠い夢を、いとも簡単に普通の夢にしてしまった。
「僕が連れてってあげるよ。」
彼がそう言った…
訳ではない。
じゃあ、何をしたか?
「豪華客船に乗るのが夢」
とわたしが言った時、彼はいたって普通に
「いいねぇ!乗ろうよ!」
と言った。
わたしの夢を、他人事にせず
「乗って当たり前でしょ?いつにする?」
「え?」
耳を疑った。
あたかも乗ることが決まっているようなテンションだったから。
そうなると、夢だと言ったわたしの方が尻込みをする。
「いや、ちょっと言っただけよ…」
すると、すかさず
「え、なんで遠慮してんの?自分の人生に…」
と。
それはいつも、わたしがクライアントさんに言ってる言葉だ。
お株を奪われたカタチになった。
「行こうよ、クルーズ!」
「え…あ…う、うん…そのうちね…」
そんな会話をしたのが、5年前の2017年8月のことだった。
*・゜゚・*:.。..。.:*・''・*:.。. .。.:*・゜゚・*
実は、恥ずかしい話だけれど、クルーズという言葉を知らなかった。
それまでのわたしは『豪華客船の旅』と言っていた。
言葉の響きは妙なもので『豪華客船の旅』と言ったり聞いたりすると、何故だか少し敷居が高く感じる。
自己肯定感の問題なのかなと思うけれど『豪華』なことは贅沢だ…とか、まだ早い…とか、「身の丈に合ってない」とか…
自己判断してしまうからかもしれない。
でも『クルーズ』と聞くと、なんとなく身近に感じて
『行けそうな気がするぅ〜』
(by 木村天津風)のだ。
ならば、わざわざ敷居を上げる必要もない。
そこからわたしの意識が変わった。
自分はクルーズに行けるんだ!
行っていいんだ!
いつもながら、意識が変わるって凄いっ!
謎の自信がついた。
それでもまだその時は、クルーズが身近になった訳ではなく、YouTubeを観ながらイメージトレーニングをするにとどまっていたけれど。
そんな会話から3年。
コロナ禍が、少し落ち着きの兆しを見せた2020年11月。
同じく横浜で、東山さん主催のクルーズ説明会があった。
コロナ発症で大騒ぎになった「ダイヤモンドプリンセス号」の記憶がまだ鮮明に残っている最中ではあったが、わたしは参加した。
まだ今は無理だけど、夢に近づきたい!
その一心で。
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