夢が落ちてくる空の下で
乾巧は疾走していた。
「マスター、結論から言おう。この状況は不味い」
「だろうな!」
煙臭さと瓦礫の匂いが充満する路地エリアで、怒声が空に響き渡る。
2人は蒸気を頭から充満させる兵士に追われ必死に逃げていた。555に変身はしているものの銃弾から身を守る事に使うのが精一杯でロクな反撃も出来ない。バベッジ卿も魔力不足で急接近してきた雑魚をオートバジンと共に一時的に殴り飛ばすのが精一杯だった。
既にこの特異点レイシフトしてから2週間が経過しており、カルデアとの通信が遮断されてからも2週間が経過していた。
彼らは路地を次々と曲がり、追っ手を振り切ろうとするがなにせ数が多すぎてすぐに見つかる。
それでも路地を走り続けた彼らがたどり着いたのは‥‥‥薄汚れた金網とコンクリートの壁だった。
いや、彼らなら壁は破壊出来る。だが、この数の敵を前に背を向ける事は死に等しい。
「マスター、埒が明かない。我の宝具を使うか、君の切札を使うか決めてくれ」
「‥‥‥!」
555はその言葉を聞いて。
すかさずオートバジンの背後に回り、バジンを盾にしながら敵の群れへと飛びごんでいく。
そして。
『START UP』
その無機質な音声と共に
極天の赤い雨が、煙の兵器を砂に変えた。
「‥‥君ならそちらを使うと思った。だが、右足を負傷しているのだから我の宝具を使うのがベストだったと思うが」
「うるせえ」
乾巧は地べたに寝そべりながら、バベッジ卿に背を向けていた。
アクセルを使い、ただでさえ痛めていた右足のケガが悪化したのだ。暫く立ち上がれない上に呆れられたのが気に食わずこうして背を向けている。
「そうか。我は、君の判断に従うだけだ」
バベッジ卿はそれだけ言い残すと霊体化して、通信回復が出来るかどうかのポイント地点を再び探し始めた。
「‥‥‥」
乾巧は、考えていた。
分かってはいた。あの場で自分は出ない方が事態は円滑に進んでいたであろうことも。
だが。次に宝具を使えば。疲弊した自分の魔力とやらでは。
結局、怖かったのだ。
‥‥‥目の前で、仲間が消える事なんて言うのは乾巧にとって永遠に慣れる事はない。
それより自分が消える方がまだ慣れを感じてしまう程、彼は怯えていた。
それを認めまいと自問自答を繰り返すうちに、いつしか眠りに落ちていた。
夢を見た。
目に飛び込んでくるような青い空だった。
草の感触と土の匂いが懐かしかった。あの土手だ。夢を語ったあの。
ゆっくりと起き上がり、ふと目線の先に誰かがいるのを感じた。
川の向こうにこの景観に似合わない図体が立ち尽くしている。
バベッジ卿だ。
―――――少しだけ、寂しそうな顔をしてるような、そんな佇まいで。
「マスター、起床せよ。食事の時間だ」
寝起きには少々過激な音量で乾巧は目を覚ました。
「‥‥…どのくらい経った」
「4,5時間だ。今日は数日前に避難済みの民家で見つけたレトルトだが、ないよりはマシだろう」
そう言ってバベッジ卿は袋ごと渡してきた。
乾巧は多少の驚きと共に、それを黙って受け取る。
いや、理屈は分かる。ここには温める火も器もない。おまけにこれなら猫舌に困る事もない。
「‥‥‥」
だが、腹の渇きが収まるだけの食事はひどく冷たかった。
「お前、これでいいのか」
冷たいシチューの具を齧りながら、乾巧はずっと心に引っかかっていた事を聞いていた。
「いい、とは?」
「お前、こういうのが良かったんだろ。夢だったんだろ。いいのかよ」
「‥‥‥昔、マスターに言った事があったな、そういえば」
バベッジ卿は苦笑するように語り始めた。
「‥‥‥叶わなかった夢など、『私』はとってはもはや呪いさ。おかげでこの体だ、別段損はしてないがね。行き過ぎた夢≪欲望≫は自らを蝕むだけだよ」
夢は呪い。乾巧の友人もそう言っていたことは勿論彼は知らない。
だが、妙に腑に落ちた。
「そうか」
「ああ。だから我はこの呪いと共にあるべきである。叶えてはいけない。それは、『私』の夢が潰えた君たちの未来を否定する事になる。未来を肯定できない学者など‥‥必要ない。我が手で、砕かねば」
自嘲の言葉がグレイの空に溶けていく。
この蒸気が溢れる中央部の空は、青色には染まらない。
「いいじゃねえか」
「‥‥‥何?」
「夢を持つとな、時々熱くなったり切なくなったりするんだとよ。だから、いいだろ」
乾巧は気付けば口を開いていた。
「俺にも夢がある。世界中の‥‥いや、やっぱいい」
「なんだマスター。それは卑怯ではなかろうか」
「‥‥‥幸せに、なって、ほしいだけだ。‥‥‥みんなにな。あんたは‥‥俺よりは、叶えてるだろ、そういう、夢なら」
顔を覆いながらたどたどしく言葉を紡ぐ。こっ恥ずかしいにも程がある。やっぱりクリーニング屋のあいつは恥を人生のどこかに落としてきたに違いない。
その様子を見たバベッジ卿は、久しぶりにマスターが戦友ではなく守るべき青年に見えてなんとなく安堵を覚えた。
少しの沈黙が流れる。それはとても、心地いい沈黙。
だが、それは長くなかった。
敵の気配がまたぞろぞろと増えていく。
先程とは比べ物にならない。
絶望が二人の胸にのしかかる。だが今は問題ない。
戦いは、ノリの良い方が勝つのだ。
「いい夢だよ、あんたの夢」
「……君の方が良い夢だろう」
「そうでもねーよ。パクっただけさ」
乾巧の口元は自然と緩んでいた。
バベッジ卿の内部機関は熱く煮えていた。
「変身!」
『Awakening』
「我が空想、我が理想、我が『夢想』!!!」
2人は同時に物陰から飛び出した。
夢の続きがいつかどこかにあると信じて。
いつかの朝日が昇る中で、特異点は光の中に消えていった。
(この特異点は事件簿コラボの特異点とは関係ありません。蒸気?ナンノコトカナー)