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大人ってなんだろう

いつから私は子どもじゃなくなったんだろう
20歳を超えたら大人なのかな?
たしかに自分一人でできることは増えたと思う。だけどそんなに強くない。
小さい頃に見ていたこの大人やあの大人は今の私よりよっぽど大人だったはずなのに。でも、きっと彼らも今の私のように理想の大人像と現実の自分たちに、もがいていたのかもしれない。
ただそんな私が「わたし大人になったかも」と感じる瞬間をいくつか挙げたいと思う。

1、感情とくに怒りの感情をコントロールできるようになったとき
→もちろん状況や内容によっては怒る場合もあるかもしれないけど、基本怒らない。なぜなら、怒るのにも体力がいるから。昔学校の先生がよく「先生も本当は怒りたくない」って言いながら生徒に怒っているのを見て、子どもながらに「なんでやねん」って心で思っていたけど今ならわかる気がする。怒るのにも気力が必要。それに自分が怒ったらこの先にどんなことが起こるか予想ができてしまうし、それなら面倒くさいと思ってしまう。

2、人や空気に気をつかえたとき
→たとえば今のご時世だと居酒屋に行ったら体温を測定される。そんなときにグループの中の1人でも体温をオーバーしてしまうとお店から強制退去を強いられても、嫌な顔見せずその体温が超えてしまった人の体調を心配する。きっと子どもだったらお店に入って「ご飯だやったー」ってなってるのに出なきゃならなくなれば、駄々をこねるだろうな。😂

3、眠れない夜に少しのお酒を飲んだとき
→小さい頃は眠れない夜によくホットミルクを飲んだ気がする。もちろん今もホットミルクは好きだし飲むけど、お酒を飲んだほうが睡魔はやってくる。ホットミルクがお酒に変わったとき私は大人を感じた。(自分に”酔ってる”訳じゃないよ笑笑)

4、両親や家族もそれぞれが1人の人間でそれぞれの人生があると気づいたとき
→私にとってこの事実に気がついたことは大きくて、最も成長を実感した。
子どもから見る親は偉大だと思う。いや、思っていた。親は”大人”だし、親だし、自分とは違うんだ、すごいんだって思っていた。だけど、家族だけじゃなく周りの環境や人なんかに影響されながら、自分の中での価値観や考え方ができた時、それが親と合わないこともある。そうした中で親の言動を観察すると、親も私と同じただの1人の人間なんだって気がついた。それと同時に今わたしが自分の人生を必死にもがいているように、親の人生があるのだと気がついて、私(子ども)のせいで親の理想の人生を送れないのは嫌だと思った。親に反対や自分の人生の邪魔をしないでもらいたいと思っていたけど、もしかしたら私も親の人生を邪魔しているのかもしれないと思った。
そんな考えになったとき、私は自分のことばっかりでわがままだった幼なき私から、少しは大人になったんじゃないかと感じた。


きっとこれだけじゃないけど、上記の4つを含めて、”大人っぽい”を積み重ねて自分たちの気づかない間に、”大人”になっているのかもしれない。
きっとそもそも大人って言葉なんてざっくり分けるために作られた言葉なんだろうから、定義なんてないんだろうな。
“大人っぽい” それくらいでちょうどいいんじゃないかな。

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