災いと芥川龍之介 第三章 この期に及んで本を読んでいる奴がいる
この章の魅力:橋と書くめえ
晩秋の色にその頁が染まってゆくのはロープシン(一八七九–一九二五)の『蒼ざめたる馬』(一九〇九)の英訳です。絶えず降りかかる銀雪を散りばめたような文体を、主人公のニヒリズムが曳いてゆきます。革命の浪漫にいかれた者たちは挙って読んで、気骨稜稜たるを誓ったと聞きます。「自分」はどうでしょうか、読書に熱が入り、電車は「橋」の上にさしかかります。事が起こりそうです。
「橋」の向こうから何者かが来ます。
「自分」はこの風狂な身なりをした二人が思い出せないでいます。見ると一人は棒のような何か、もう一人はダイナマイトを携えて、彼らヘルメットを着けていないので味方かどうか知れません。あるいは敵か、「自分」は何時かうらみでも買ったのでしょうか。
はて、寒山拾得が東京に居るはずは無い。ですが、成程よく見るとあの棒は箒で、ダイナマイトと思われた円柱は巻物に違いない。道具屋じみた男の神業が持物attributeをくるりと置き換え、不可避であるはずの闘争は已のところで追懐に形式を変えられてしまいます。革命児はダイナマイトを卒業して風狂の寒山拾得を懐かしみ始めました。終いには、
とか言う始末。六〇年代らしくないのです。
然もありなん、ここに見たのは趣味宜しい芥川氏が物した大正七年の『寒山拾得』です。電車内に微かに漂った爆薬の香は、前年大正六年のボリシェビキ革命を受け、少なからず気力を取り戻した本邦の社会主義者たちの鼻孔を擽った香で、『蒼ざめたる馬』の初の邦訳は大正八年、青野季吉(一八九〇–一九六一)の筆によってなされよく読まれたようです。
寒山拾得が渡れば、東洋の秋を嘆く武士も渡ってきます。
記憶の残花の匀に「おれ」も浸るのでした。
挙句、橋の彼方に、あり得べくもない寒山拾得の記憶を手繰り寄せて喜びます。「しかし、」と武士は続けます。
橋を渡って未知へ、未来へ行くと、翌年大正八年の「繊巧の病」についてこういう声が聞こえてきます。
「世人」とはつまり新聞屋のことで、龍は「しかし、」と続けて新聞屋の向こうを張るのです。
時の融け合う逆説/逆接の橋上では、もはや署名signは何の意味も持ちません。一つの精神が闊歩してゆくところを呼び止めてみれば、小文字の
mannerismが大文字のMannerismになるでしょう。『蜜柑』はマニエリスムの文学です。『沼地』もマニエリスムの文学でしょう。
橋を渡って彼岸の書へ、未知の書を尋めゆく。「しかし、」……。この浪漫派の橋を渡りきることは、追憶と革命の縁組無くしてできません。革命の香、靴墨のそれのような爆薬特有の香はメランコリックな作品たちから漂ってはいたものの、『寒山拾得』もあと少しまで来ては挫けてしまうのでした。
では社会主義についての論文を多く載せていた総合雑誌『改造』、その大正九年四月号に『東洋の秋』と併載された散文詩はどうでしょうね。
(第三章 おわり)
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