秋は夕暮れ

11/6(水)

今朝、僕の中での11月のカレンダーの日付がすべて1日ずれていたことが発覚。明後日だと思っていたヒアリング調査が実は明日だったり、火曜日にあると思っていた研修の話し合いが実は月曜日だったりと、結構色々とミスがあった。これも一重に手帳を使いこなせていないからであろう。少し前のジャーナルで手帳について熱弁したが、12月スタートが主流らしく結局購入には至っていない。早く欲しいものだ。幸いにも今日にずれ込んだ予定はなかったものの、ヒアリングの準備はしていなかったので急いで学校で行った。急にとても忙しくなった気分。

今日は友達もみんな寝坊してしまい、テニスの開始時刻が11時となった。僕はヒアリングの準備があったので本当にちょうど良かった。
今日は新メンバーを迎え、ついに最高人数である7人での活動となった。あと1人誘えたらついに2面でダブルスの試合ができる。新メンバーの加入により、活動も以前より盛り上がりを見せ、いいテニスとなった。
時刻は15時となって、そろそろさすがに昼ごはんを食べに行く。安定の松のや。米を爆食いして気持ちよかった。テニス後の米は別格である。
友達に送ってもらい、大学に戻った頃には16:30くらいになっていて、日もかなり傾いていた。ここ数日で特に1日が短くなったように感じる。
今日も夕暮れが綺麗だった。

秋の夕暮れといえば、

秋は夕暮れ。 夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。 まいて、雁などの連ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。 日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。

清少納言『枕草子』

というものがある。
小中どちらかで暗唱テストがあったので、多くの人の記憶に今も残り続けている文章であろう。
秋の夕暮れが美しいという感性は今も昔も変わらない。どこかで聞いた話だが、秋の夕暮れが美しい要因としては、空気の乾燥が大きく関わっているそう。妨げる水蒸気が少ないからこそ、光が美しくみえるのだとか。

この秋の夕焼けは僕に童心を思い出させる。
小学校の頃はよく公園で遊んでいたので、この夕暮れの中いつもサッカーをしていたし、中高はこの夕暮れの中部活に励んでいた。
恐らく思い出補正のせいだが、毎日の生活にこの夕焼けがあったように感じる。
しかし、大学生になってからはどうだろう。5限を受けていると夕焼けなど見ないうちに日が沈んでいるし、バイトをしているととっくに日が沈んでいたなど、夕焼けと触れる機会が格段に減った。

毎日触れていた夕焼けとも、自然と距離ができていた。
21歳になった今、この夕焼けを眺めると、当時の若かった頃を思い出す。そこに肌寒い風が僕を襲いかかり、戻ることのできない、夕焼けのような綺麗で輝かしい過去は戻れず、現在に縛り付けられているような感覚へと陥る。

秋の夕暮れはただ綺麗と言うだけでなく、どこか儚さを僕に与える。

僕は『枕草子』のこの一節を

遠くに見える雁は、過去の自分であり、綺麗な夕焼け(美しい過去)の中に小さく見える。
烏(人々)は、夕焼け(輝かしい過去)にある寝床(思い出の場所)を目掛けて急いで飛び回っている。
夕焼けは人々にこのような感情を想起させる点でも美しい。

というような解釈をした。
清少納言さんはどのように感じてましたか?

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