とある喪失感について

とりとめもない話をします。

THEE MICHELLE GUN ELEPHANTのチバさんが亡くなった。
私がそれを知ったのは、Twitterだった。The Birthdayのオフィシャル。フォローしているわけではないので、たぶん「おすすめ」に流れてきた。
11月26日に息を引き取ったらしい。
その日、私は何をしていたか。弟と旅行に行っていた。
柿田川湧水群でうつくしいブルーホールを見つめていた。

私は熱心なチバさんのファンというわけではない。
THEE MICHELLE GUN ELEPHANTは音楽から入ったわけではなく、むしろ『多重人格探偵サイコ』からだ。
ライブだって多分ARABAKIでしか見たことがない(そしてそれはミッシェルではない)。
それほど熱心に聴いていたわけではないけど、わたしの好きなバンドは何かしらミッシェルの影響を受けている人たちが多いから、だから自然と聴いていた。
一番好きな曲は相変わらずゲット・アップ・ルーシーだし、ROSSOもThe BirthdayもSNAKE ON THE BEACHもちゃんと聴けていない。
でも映画『THE FIRST SLAM DUNK』はオープニングを見に行くために再訪したり。
4月にチバさんが療養に入ると聞いた時には、もちろん驚いたんだけど、でも療養明けにどんな音楽を聴かせてくれるんだろうな、と思っていた。
まさかそのままいなくなるなんて思っていなかった。

訃報が発表されてから、Twitter上ではいろんな方がいろんな形でチバさんを追悼した。いろんなチバさんのエピソードを読んだし、いろんな写真をみた。
NHKがこんなに素早く2003年のトップランナーを放送するなんて思いもしなかった。まず武田真治が若くて細い!って思ったけど、でもメンバー4人のうち2人はもういないのかと思うとなんだかやりきれなかった。
(アベさんが亡くなったときは、後輩がものすごく打ちひしがれていたのをよく覚えている)

私の中で気持ちの整理がついたのは、スギサキさんとチバさんのことを話すことができたからだった。
誰かと喪失を共有して、喪失を喪失と認められたような気がする。
さみしいし、まだかなしいのだけれど。
同年代のスギサキさん(私の方がおねえさん)とはチバさんのとらえ方が似ていたから、「そうそうそうそう!」と言い合うことで、途方に暮れた感じがなくなっていった。
この衝撃は何なんだろう、私なんでこんなにショックを受けているんだろう、という部分が説明できた感じ。
2009年のクリスマスイブに志村君が亡くなった時とも違う、今年坂本龍一が亡くなった時とも違う。
チバさんの死についての私の感情。

似ているなと思ったのは、私が生まれる前からあった焼きそば屋さんが閉店したときの喪失感だった。匂いとたたずまいの存在感と黙々とした職人気質の店主とおかあさんの笑顔と声量。
いつかなくなる日がくるのはなんとなくわかっていたけど、今だとは思わなかった。
その感覚。
それは2020年に藤原啓治さんが亡くなったときと、2008年に氷室冴子さんが亡くなった時にもそれは感じていたかもしれない。

私にとっての「ロックスター」は、まちがいなくチバさんだった。

ところで。
いちばん沁みたtweetは須藤理彩さんの。

「どうぞ川島と仲良くお願いします。」
泣いた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?