白井晟一建築を語るを読んで

本の内容メモ

白井晟一は、時代のモードに否定的である。一般的には、創造性を発揮するまえに、そうした流行に影響されてしまい、本当の創造性につながっていかない。個性がなくなる。 白井は否定的であったがためその影響がすくなく、より純度の高い創造性を発揮しているといえる。 モダニズムは概念化を意識し過ぎ、軽薄な建築に成り下がったともいえる。コルビジェ自身は、自らの中にある建築に対する情熱を追求する過程にモダニズムを生み出したにすぎず、そのコンセプトはいち提案であったに過ぎず、コンクリートと鉄とガラスの新しい可能性を模索していただけだ。 論理的なだけの建物には、人間の深みが無い。そこには、文化的な香りもなく、人が感情移入できるものではない。 建築はその規模、用途、社会的位置付けから考えても、長きに渡り存在する必要がある。 長い期間に大切に使ってもらうためにも、皆に好かれ愛されることが必要である。 白井は脳内での創造プロセスにより時間を掛け、カタチにすることを極力しないことで、自由な創造性を発揮しようとする。 思いをカタチとして、結実したとたん、 発想は定着し、急速に固定化に向かう。 自由な変化の中で創造性を発揮したければ、固定化する前段階の脳内における発想の段階を大切にすることである。 思いや発想の始まり、カーンの言うカタチの前の様々な段階に重要なポイントがありそうだ。

 自身の仕事に置き換える

初回の提案したコンセプトから、依頼を頂いた次の打合せでは、相手の好みや、イメージ写真などをもとにイメージの中で話し、展開させることで、新しいカタチにたどり着く。その イメージ打合せでは脳内での創造性を熟成させるタイミングにすると良さそうだ。 

人間の本質、矛盾しながら呼吸しているのを統一して表現できるのが、人間の値打ちであり、機械と違うところ。 人間は矛盾を含みながら秩序を保っている。偶然の淘汰によるバランスは、環境の変化に対応したバランスが作られる

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