イサム・ノグチとルイス・カーンの美の創造について考えてみる

ノグチの石との対話による創造性とカーンの無意識の宝庫への扉を開ける鍵とが7つの習慣にある理解することに始まる創造性(第三のアイディア)にあると仮設を立ててみた。

イサム・ノグチのデザインにおける石の自然回帰についてデザインとは意図をこめること。彼が、石の彫刻をとおして辿ったその軌跡を考えると。美しい彫刻を創造するためには、目の前にある素材事態を理解するところから始まり、その感じ取ったその魅力を如何に見せるかがその石彫のテーマとなる。その如何に見せるかという意図がデザインであると考えられる。
※自身の意識ではなく、対話による無意識の創造をなしえ、美の宝庫の扉を開き、美の原形を取り出す行為その物を行った作家と言える。
美しさ自体は、そのものが持ち合わせた意図的に表現できない美しさや魅力をもっている。その魅力に意図を加えることで魅力的なデザインが成立する。初期の彼の石彫は彼の中の意識下での創造行為だった。しかしその世界は一個人の中で終わるのではなく、その素材を理解することから生まれる、如何に生かすかという意図を含むことによる無意識の創造の世界へと広がったのである。

ルイスカーンの無意識に存在する美の宝庫についても第三のアイディアの仮設から理解できることがある。
美の宝庫とは、個の中に存在するのではなく、他者との関係の中に存在するものである。個人の中にある美とは、我の延長のものである。
如何に我を最小限にしようとも、個から生まれるアイディアでは、その我を押さえるだけでは意味はない。
他の人と、我を解放した個性をもち意見しあいアイディアを分かち合う事、我を解放しながらも、その存在を互いに尊重しあう事ができたならば、それは美の宝庫の扉をあける鍵となる。
これは、個人の問題ではなく、両者または、他人同士の関係のなかに存在するデザイン論であると私は理解することにしている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?