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0♾️地点⑧


前回までの記事はこちら☆



「酵素水」や「ゼロのちから」
の高嶋博士は、幼い頃から"死"というものに特別な感性があり、これまでの様々なすばらしすぎる功績のすべては、目的でも結果でもなく、あくまでも副産物的なものにすぎないとおっしゃっています。

謙遜されているわけではなく、地球のために何ができるだろうか?地球を救うにはどうしたらいいだろうか?
真剣にお考えになり、行動されてこられた。

地球が抱えている問題とは何か。
人々は何故争うのか。

まっすぐにその問題と真正面から対峙した時、
水・食糧・エネルギー
この3つを解決することができれば
争いも不平等も無くなる。
犠牲になり死んでいく人々を減らせる、ではなくて、一瞬にしてゼロにすることができる。
そうでなければ意味がない。
そうお考えになった。

サイエンティストとして、明確な結果が残せなければ、何かを「やった」とは言えない。
博士の世界から切り離すことのできない数学の世界で、「答えが出ない」「問題が解けない」それでは「何かをした、やったとは言えない」と。

人間が生きていく上で、絶対的に必要な欠かすことの出来ない3つ。

今、地球上ではこの3つの支配権をしっかり握って離さない人々、勢力というものが存在し、
「生きる全ての人間がその支配下にある、コントロールされている」
そう言っても決していいすぎではない
そういう状況にあるのだそうです。

地球上にいる全ての人が幸せに生きるためには、
犠牲にならずに済むためには、この支配システムからの断絶。
その方法、全く新しいシステムが必要。

支配システムとの繋がりを切ったとしても、潤沢に水とエネルギーを使うことができ、食糧は自分達で賄うことが可能。

しかも、その水は使えば使うほど地球上の微生物達を喜ばせ、元気にする。
その水を飲めば、人は免疫力もあがり、その水や土で作った食糧は、美味しく栄養価の高いものができあがり、人々の排泄物でさえもゴミではなくむしろ宝となる。

高嶋博士はそんな夢のような世界、システムを、もうすでに実際につくりはじめているのだそうです。


地球を本気で救いに行ってる、もう実際に救いかけている高嶋博士にとって、ちっぽけなこの人間ひとりを心身共に救うなんてことは、もう当たり前すぎるほどのことなのかも知れません。

逆に言えば、人間ひとりを完璧に救うこともできずに、地球を救うことなど不可能。
そういうことなのでしょう。

幼少期に始まり、現在に至るまでの様々な体調不良。
常に「原因不明」で一向に"先"、"未来"は明るくならない。
とても積極的に乗りたいと思うことのできない"サビサビ"の乗り物に、別れきれない気合いのK太や
我慢のG子。
そして、もはやシリーズ化。
皮膚には
シーズン1.2.3…延々と繰り返されるSくん達のドラマ。
薄暗いその道を行くしかなかった、地球という一個体の小さな小さなちっぽけすぎる微生物のひとつのようなひとりの人間であるわたし。

確かに救われました。
完璧に。

症状がまだ残っているとは言え
自分から排泄されるものでさえも、最終的にこの地球を汚すものではなく、むしろキレイにして行くものに。

洗濯や入浴など、日々の生活からの排水もその排水溝から排水管までをきれいにしながら流れて行く。

こんなにも豊かさや安心と共にあるクリアな喜びを実感しながら、生きられる日々、不調から回復して行く日々は、過去に経験したことがないです。
そして、この道を歩いて行ける。
ちょっと眩しいくらい先が明るくて見えない
この道を行ける。
こんなに嬉しいことはないです。



昔。
消えそうな命をなんとか繋いで
ハンカチを作っていた頃。

ある日。デパートのエスカレーターに乗っていました。
そのエスカレーターは下層階から高層階までが全てガラス窓になっている、そんな窓際にあるものでした。

高層階で上りのエスカレーターに乗っていた私は、はるか下界で動く人々や車。それがだんだん遠ざかり、小さくなって行くのを見ながら、
「懐かしいな
わたしもあそこに居たなぁ…」
そんな自分にハッとして、ああ、まだ「居る」んだった。まだ「生きている」んだと、ホッとするよりも、むしろ少しガッカリするくらいには「死」というものとの境が薄くなっていました。

窪塚さんに出会ったのは、そんなタイミングでした。

当時、「窪塚洋介」と検索すると、9階から落下した彼を茶化したり、ディスったりする情報が溢れかえっていました。

光がほとんど見当たらない暗闇の中。灯らしいものと言えば、窪塚さんの歌声と曇りのない瞳くらいしか見つけられなかった自分にとって、
これでもかと汚され、踏みつけにされたような窪塚さんの情報は、弱い自分を揺さぶるところがありました。

灯だと思っているけど
これは灯なんだろうか…

正直揺れる部分がありました。
でも、当時の自分はもう力尽きる寸前で、その真相を確かなものにするために、自分の「アタマ」が納得するだけの充分な何かを集めたり、探したりするパワーもなく、同時に彼が「ホンモノ」だろうが「ニセモノ」だろうが、どうでもいい。

こんな最後の最後になって、
自分のココロがどうしても反応してしまうのが「ニセモノ」だったのなら、自分が所詮その程度の、そういう人間だったということなんだ。
それだけのことだ。

とにかく、これしかない。
灯と呼べそうなものはこれしかないんだ。
目が見えるうちに、手が動くうちに、やると決めたことをやってしまおう。
灯をたよりに。


あれから色々あって、思いがけず母親というものになり、また気がつけば暗闇にいました。

時を経た窪塚さんの灯は光へと進化していました。
どんな雨でも、風でも
ビクともしないほどの強い光に。

9階から転落という、助かったことが奇跡でしかないような大怪我。そこから復活していくまでの彼を世間は世界はどう扱ったのか。
想像を絶するほどの経験をされたのだろうというのは、当時の検索結果のその何倍もおそろしく酷いものだったと想像します。

それなのに、窪塚さんという方はそれに決して屈しなかった。
安易に使いたくはないけれど、そうとしか言えない
屈しないどころか
愛を、愛の強度と純度をひたすら高めながら、愛だけを世界に対して与え続け、返し続け、愛の道を歩んでこられていました。

最大級の鮮やかなジャンプキックを浴びせたいのは自分です。
完璧な飛び蹴りクボヅカで、飛ばしていただきたい。

ボコボコにされたまま
言わせて下さい。
再会させていただき、さらにこんな素晴らしい場所に連れてきていただき、ほんとうにありがとうございます。

今度こそ
窪塚さんにも、そして
テリーさんにも
恥じない生き方します。
約束させてください。

「口ではなんとでも言える」
窪塚さんは何度もおっしゃってますね。
ほんとうにそうですね。

♪ ウェルカム3回目
  こっからだーぜー!!♪

舐めた事、言います。

あ!!またキックが!!

すみません。
叫び出したい、声が枯れるくらいの
「ありがとう」は
言葉ではない形で贈らせてください。
必ず 
「これが例のあれだな」
窪塚さんにわかる形で
届けることができるまで
気長にお待ちください。

こちらも
うっかり死なないように
頑張ります。


長々と
そして最後は公開ラブレターみたいになって、もうなんかめちゃくちゃ申し訳ないです。

ここまでお読み下さり
ほんとうにありがとうございました。

ひとりでも多くの方が
安心して、日々健康で楽しく
生きてゆけるように

そのことに
そのかけがえのない命をかけて
生きてこられ
生きておられる方々の
恩恵をこれでもかといただきつつ
僭越ながら、お届けさせていただきました。

現場からは以上です。


〈 おわり 〉





当時よく聴かせていただきました。
YouTubeにもありますが、新しいものはアレンジがテンポとムードが当時のものと違います。
自分が聴いていたのはこっちでした。


ポケットに。

聴きながらのデザイン画


刺繍ハンカチ


インスタでさっき知りました。
窪塚さん、本日お誕生日だそうです。
おめでとうございます!!




















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