小さなお母さん
ども、めがねこです。
最近noteの更新頻度が高いが2、3年程連絡が付かなかった母親から連絡があり多少の不安はあれど安心し、自分の事を整理出来てきてるのがある。その中で過去にもnoteに書いているが何故そこまでして妹を心配しているのか、母親でもないのに。それは
家庭環境での過剰適応によりずっと母の役割を代わりとして妹の全てを見てきたからだ。
私はもはや妹の母親なのだ。
産まれて数日の妹を抱っこし、小さい哺乳瓶に規定量のミルクの粉を入れてお湯を更に入れ、完全に解けたあとよだれかけを掛けさせて飲ます。そしてオムツを変えたり、風呂に入って着替えさせた後は抱っこして寝かしつける。夜泣きをし、ミルクの時間ならまたミルクを作る。またオムツを変える。そして朝から夜は+に絵本を読んであげたりベビーカーで散歩したり遊んであげる。
家事で言えば朝ミルクなど終わった後は布団を干し部屋を片付ける。そして洗濯物を干して昼はご飯を買いに幼稚園児の妹を連れてコンビニへ行き、昼ごはんを食べさせる。その後みんなで昼寝をした後小学生組が帰ってくる。
夜ご飯は小学生の妹が買いに行ってくれる。そして各自ご飯を食べながら幼稚園児の妹にご飯をあげる。その合間合間に新生児の世話も続行しながらだ。ご飯を食べ終わったらまた各自風呂にどんどん入って行く。そして自分も妹と風呂に入り身体の水気を拭き取り着替えさせて寝るまで少しテレビを見たり遊んだ後寝かしつける。妹が寝て用事が終わる頃は2時、3時頃。それくらいに自分も寝るが早朝は兄との性行為、激痛に耐え無ければならないので早い時間に起きてしまう。そんな寝不足で忙しい日々。
こんな日々を過ごしていれば産んでなくとも役割と気持ちは完全に母親だ。だから母親と連絡が取れなくなるのは妹とも連絡が取れなくなる。そうすると家の環境や妹の体調が分からなく心配になる。なぜなら家庭環境に過剰適応した小さなお母さんだったから。気持ちはまるで理不尽な理由で妹が児相に連れ去られたような気持ちだ。だから何故そこまで妹を心配するのかと言うと、いきなり母親の役割をいきなりしなくていい事になって、今までの生活とはかけ離れすぎて未だに脳が混乱しているのだろうと思う。という結論に行き着いた。
そう思うとしっくりくる。それと同時に自分はあの頃(小、中学生)から何も変わっていない、変われてないと思う。今の気持ちは何より、妹の成長を間近で見たい、と言うのがある。いい加減自分の事考えろ。
まぁそういう事です。記録として書いてるので時系列とか分かりにくいかもしれませんがスマソ。
じゃ。また
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?