見出し画像

弟子は勝手に成長するが、師匠は一向に成長しない。

「羽島先生、お久しぶりです。松竹です。松竹リョウ(仮名)です」
留守番電話に入っていた声が名乗る名前は、随分と懐かしい名前だった。
でもその声には、懐かしさが感じられなかった。
僕が知っているリョウは、こんな大人の声ではなかった。
そりゃそうだ。
あの頃僕は二十代だったし、リョウも小学生だったのだから。

二十代の頃に数年間所属していた空手道場で、僕は子供のクラスの指導員をしていた。
この頃の僕は底辺の舞台役者だったのだけれど、ある公演でいろいろやらかしてしまい、「もういい加減芝居は辞めて、カタギになるべきか……」と、毎日毎日悩んでいた。
早い話が、病んでいた。
そんな時にやって来た、「子供のクラスをやらないか」というお話。
食えない役者御用達のヒーローショーのバイトをやってたこともあり、子供の扱いには慣れていた。
言うことを聞かず走り回る子供を追いかけ回している内に、僕もだんだん元気になって行った。

空手教室に通っている子供には、2種類ある。
本人が強くなりたいと思って、空手を始めた子。
親に強制されて、嫌々通っている子。
もちろん、この2種類の子たちの間には、熱量に雲泥の差がある。
僕は、公然と贔屓をした。
もちろん贔屓するのは、強くなりたいと思っている子らだ。
一部の父兄さんには、「羽島先生は贔屓しはる」と不評だった。
でも、申し訳ないけれど、やる気がある子と無い子を同列に扱うことが、公平であるとも優しさであるとも思わない。
やりたくない子に無理矢理やらせるということは、単なる親のエゴであり、誰も幸せにならない。
その子が本当にやりたいことを一緒に探してやり、それが見つかったなら全力で応援してあげて欲しい。

それはともかく、リョウは、僕が特に贔屓している生徒だった。
その頃の僕は当然車など持っておらず、指導には電車で通っていた。
駅を降りて、稽古場所の小学校まで歩いて行く。
その道のりの途中に、リョウの家があった。
リョウはいつも、家の前で僕を待っていた。
そこからは、小学校まで一緒に歩いて行った。
リョウは、その日の小学校での出来事を、嬉しそうに話し続けた。
そして毎回なぜか、稽古前に何を食べたかを報告してくれるのだった。
「先生、今日はカレー食べて来てん!!」
なぜか得意気だ。
「おかわりもしてん!!」
稽古直前にカレー2杯か……。吐いても知らんぞ。
案の定その日のリョウは、すこぶる動きが悪かった。

その次の稽古日。
「今日はお茶漬け1杯だけにしてん!!」
相変わらず得意気だが、ちょっと前回の反省を生かしているな。
あっ、だから得意気なのか。
その日のリョウは、すこぶる動きが良かった。

やる気のある子らは、毎回稽古後に僕に勝負を挑んで来た。
いつも真っ先に挑んで来るのは、リョウだった。
相手は小学生なので基本受けてやるのだが、例え小学生と言えども真面目に稽古してる子らの突き蹴りは、なかなか痛い。
特にリョウの突き蹴りは痛く、帰宅して服を脱ぐと、アザだらけになっていて驚いたりもした。

結局僕は、「空道」という新しい武道がやりたくてその道場はやめてしまった。
なついてくれていた子供たちには申し訳なかったけど、僕もまだ若かったので、自分がやりたいことを優先した。

「おー!! リョウか!! めちゃめちゃ久しぶりやなぁ!! 元気なんかよ!?」
「羽島先生、僕、就職することになりました!! 久しぶりに、ご飯でもいかがですか?」
いっちょ前におごってくれるそうだ。
ちょうど、お互いの家の中間地点に位置する駅で、待ち合わせることにした。

待ち合わせ場所の改札前に先に着いた僕は、緊張していた。
なぜか初デートの待ち合わせのような気分になっていた。
……と、改札の向こうから、スーツで長身のイケメンが歩いて来た。
そのイケメンは僕に気付くと、笑顔で手を振った。
そして、顔の前で両手を交差させて十字を切る、空手式の挨拶をしたのだった。
あのちっちゃかったリョウが、僕より遥かに背が高くなり、しかもイケメンになっている。
もう十年も経っているんだから当然なんだけど、僕はまだ事態が呑み込めず、アワアワしていた。
「……お前、ホンマにリョウ……?」
「リョウです!! 羽島先生ぜんぜん変わりませんね!!」
「……お前は、だいぶ変わったね……」
とりあえず、毛玉だらけのパーカーを着て来たことを後悔した。

適当な居酒屋に入り、ビールで乾杯した。
リョウも中学生になって部活が忙しくなり、その時に空手を辞めたそうだ。
空道に誘ってみたけれど、「もう武道はいいです笑」とのことだった。

酔いが回るにつれて、思い出話から近況報告になって来た。
近況とは言っても、女性関係の近況だけど。

イケメンに成長したリョウには、当然かわいい彼女がいた。
写メを見せてもらったが、十人が十人とも「かわいい」と言うであろう、紛うことなき美人だった。
腹が立ったので、「越乃寒梅」とか「森伊蔵」とか、高い酒をジャンジャン頼んでやろうと思った。
リョウのおごりだし。

「羽島先生は、そっちの方はどうなんですか?」
「……今はフリー……」
敗北感に苛まれながら答えた。
わざわざ「今は」と付ける辺りに、より負け犬感が伴う。

「でも、好きな人がいるねん」
「そうなんですね!! 職場の人ですか!? それとも格闘技関係の人!?」
「どっちでもないねん。こないだ、梅田で女の子に道聞かれてさ。口で説明すんのが難しそうやったから、『ほな、一緒に行きましょか』ゆうて、そこまで連れてったったんよ」
「やりますね」
「ちゃうねん。俺ホンマに道説明するん下手やからさ。でもまー、相手がおっさんやったら、そんなことせんかったと思うけど」
「でしょうね笑」
「ほんでまぁ、道々喋りながら行くやん。よく笑う子で、喋ってて楽しくてさ。とりあえず別れ際に、メールアドレスだけ聞いたんよ」
「やるやないですか!!」
「まー、そこはイタリア人的に、聞いとくんが礼儀かと思って……」

しかし初めて吞んだけど、越乃寒梅て美味いな。
グイグイいけてしまうな。
そして僕はベロベロになった。

「ほんでやな、俺はもっぺんその子に会いたいねん!!」
「……先生、声がデカいです……」
「やかましい!! 『今度お酒でもどうですか?』って、このアドレスに送ってもええかな……?」
「いいと思いますよ。その道案内してる時も、話盛り上がったんでしょ?」
「そうやけど、俺、時間が空くと、また本来の人見知りが復活するから……」
「大丈夫ですって!! 羽島先生は男前ではないけど、意外にお母さんたちにも人気あったんですよ!!」
「そこは噓でも『男前』って言っといたらええやん……」
「なんなら、俺が文面書いて送りましょか!?」
「いい!! 自分で誘う!! 誘うぞおおお!!」
「だから声がデカいです……」
「てっちりに誘うぞおおお!!」
「初デートでてっちりですか!?」

感動の師弟の再会のはずが、アラフォーのおっさんがハタチそこそこの若者に恋愛相談をするという、気持ち悪い図になってしまった。

でも、ありがとう、リョウ。
お陰様で、この子は俺の嫁さんになったよ。

僕が好きなことをできているのは、全て嫁のおかげです。いただいたサポートは、嫁のお菓子代に使わせていただきます。