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生きることの本質

こんにちは。卒論も提出し、あとは口頭試問を待つだけなのでひと段落した気分を味わっています。4年間学んできたことを用いて20ページ弱分論じることは滅多にないので、それを終わった身としては貴重な体験だったなと思います。ですが、もう当分いいです。

今回のお題は『AI時代で人である自分が活躍するためには』という難題。ずっと人文学系の講義ばかり履修していたので、そもそも現在がどれほどテクノロジーで埋められているか把握していないんです。なので理系の方やITに精通していらっしゃる方、ぜひお手柔らかに…。

人工知能(Artificial Intelligence)の現状

ジャン=ガブリエル・ガナシア(2017)は『そろそろ、人工知能の真実を話そう』の中で現在の人工知能に関する理論「シンギュラリティ」(技術的特異点)について以下のように述べています。

シンギュラリティとは未来の大転換が「日々確実に数を増やす機械によってもたらされる。…機械は自らを製造し、成長をして、最後はわれわれを飲み込んでしまうのである。…事態はだんだんと加速して」なにもかもが「まったくの別物になってしまうのだ」(17~18頁)。

この本の巻末に収録されている西垣通の解説からシンギュラリティをより深く明示します。

「シンギュラリティ仮説とは、2045年あたりにAIの能力が人間を凌ぎ、機械的支配が進んで世界のありさまが大きく変容してしまうという予測のことだ。…かみ砕いていえば、人間のような意識をもち、汎用の機能を持つ「強いAI」がおよそ30年後に出現するという話である。」(174頁)

西垣は更に

「この仮説について主に三つの見方が存在する。第一は、AIが人類に光明と幸福をもたらすという楽観論、第二は災厄と不幸をもたらすという悲観論。次に、来るか来ないかよく分からないが、経済効果が見込めるし、マスコミ受けがして予算も取れるので騒いでおこうという中立論」(174頁)

の3つの視点を説明し、日本では第3の見方が主流だと指摘しています。西垣はガナシアの西洋的な見地を傾聴に値すると強調しています。

誰のための理論?

ガナシアはシンギュラリティを、人文学的知識をも駆使して理論の矛盾を暴き出し、起こりうることはないとしています。しかし同時に著者はGoogleやMicrosoftといった企業がなぜこの理論を支持するのかと問題提起します。将来人間を超越する恐ろしい人工知能を開発・販売している企業がなぜ消費者の不安を煽るのか(著者はこれらの企業を「放火魔の消防士」と比喩します)。

ガナシアの分析はこうです。

放火魔の消防士たちは国に代替(国民の情報の管理など)することで新しい社会を形成するためにシンギュラリティ理論を支持している

非常に政治的な面を帯びてきましたが、私はとても荒唐無稽だとは思えません(アメリカってそういうの多いですし)。西垣は「米国企業を中心としたグローバル資本主義の侵犯に対する、西欧の古典的知識人の抵抗だと見なすことはできる」(178~179頁)としていますが、重要な警告でもあると述べています。

すなわちシンギュラリティは起こりえないのに根強く流布している理論であることが分かります。そしてそのバックにはとんでもない権力と影響をもつ企業が控えている。故に私たち消費者は追従してしまう。これがガナシアのいう人工知能の真実です。

日本における人工知能

西垣が指摘した通り、日本ではガナシアのような分析は行われるどころか、とりあえずこのブームに乗っかって金儲けをしようという風潮があります。というよりは、そもそも日本でAIが多く導入・広く認知されているように思えませんが…(現金・印鑑文化はいつになったら無くなりますかね?)。

以下の2つの図はビッグローブ社が2016年に日本で行った調査結果です。

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自分に身近な環境で役立ってくれることを期待しているが故に故障を恐れていることが分かります。同時にシンギュラリティ理論への不安も読み取れますね。主に医療、おそらく介護や難解な手術を指している、への活用が期待されています。

ここで興味深いなと思ったのは1つ目の図の期待すること第3位「コミュニケーション相手」です。pepper君に代表されるITだと思いますが、AIは人間が作ったものなので結局は人間の理解の範疇でしか会話が出来ないですし、プログラミングした人間の意図が組み込まれています。

元東京大学特任教授がTwitter上で差別発言を行い、AIの学習結果が招いたと言い訳しました。まさに先述した例です。彼はプログラミング能力は長けていたかもしれませんが、人権問題に関しては深く学習してこなかったーむしろ自身のレイシズムを省みようともしてこなかったーことが分かります。そしてそれが彼の作ったAIに反映されたのです(人文学研究を読書感想文だと断言しているあたり彼の能力の限界が垣間見えますが)。

人工知能の下で

これらを踏まえて私が言いたいことは「AIが人間を支配すること」は起こりえないのだから現在できることは何か、という事です。AIとコミュニケーションを人が取りたがっていることは明白ですが、AIにどのような教育をプログラミングすれば良いでしょうか。

差別はいかなる理由でも正当化できませんが未だに存在しています。そしてその意識は社会的生物である人間に大きく影響を及ぼしています。私が焦点を当てたいのはここです。なぜなら私が人として活躍できるだろうと考えたからです。

外山滋比古は1986年にすでに『思考の整理学』でコンピューターへの危機感を示しています。機械的人間(事務処理)が仕事を無くすため、教育現場の見直しを強調します。それは書名にある通り「思考とは何か」という事です。

人間らしく生きて行くことは、人間にしかできない、という点で、すぐれて創造的、独創的である。…これからの人間はどう変化して行くであろうか。それを洞察するのは人間でなくてはできない。これこそまさに創造的思考である。(215頁)

しかし人間はあらゆる条件に影響されるので数値で測れる生き物ではありませんから完璧な人間は文化や見方によってまちまちです。

そこで人間として思考することが大事ではないでしょうか。そのためには今まで取りこぼされてきた人たちに触れなければなりません。隠れて生きることを強要されてきた人々や、更にグローバルな視点で、他文化に生きる人々など沢山の人と出会い、思考します。どのような構造が背景にあるか、そしてそれがどのように機能しているのか。そもそも完璧な人間は果たして唯一のタイプなのか。

このような生き方が私がAI時代で出来ることだと思います。

Reference

BIGLOBE (2016) 『人類の希望?脅威?「AI(人工知能)に関する意識調査」
~「AI」への期待は「医療の発展」「自動運転」に加えて「恋愛」も~』 Retrieved from https://www.biglobe.co.jp/pressroom/info/2016/06/160606-1 (2020年1月17日閲覧)

ジャン=ガブリエル・ガナシア(2017)『そろそろ、人工知能の真実を話そう』小林重裕・他(訳)伊藤直子(監訳)早川書房

外山滋比古(1986)『思考の整理学』筑摩書房 210~215頁

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