大人が思ってるより小学生って色々考えてたりするよね

こんばんは、かいとです。


我が家の長男が毎日楽しそうに小学校に通う姿を見ていて、僕にもこんな頃があったなあと自分の小学生の頃を思い出したりしていました。

大人になると、小学生はまだまだ幼くて.自分で物事を判断したり周りを気にしたりなんてできないと思いがちだったのですが、自分の小学生時代を思い返すと案外小学生は小学生なりに自分で考えて判断したり、周りに合わせたり友達からの評価を気にしたり小学生同士での社会性みたいなものが存在していたように思います。


なので自分の意思に反して判断をしたり、友達から嫌われないように振る舞ったりを意識的にしろ無意識にしろしていたというのは多分僕だけでなく、心当たりのある人も多いんじゃないでしょうか。


そしてそれに苦しめられている子ども達も少なからずいるだろうし、大人になってもそれらに苦しんでいる人がいるかも知れません。



小学3年生のある日、友達にいつものように遊ぼうと言われました。でもその日僕は家でゴロゴロしたかったんですよ。

だけど用事や習い事があるわけでもないのに断ってしまうと、嫌われるかも知れないしもう誘ってもらえないかも知れない。
そう思った時に疑問が浮かんできたんです。

あれ?嫌われるとどうなるんだろう?

そして考えてみたのですが、嫌われた場合に起こることはだいたい遊びに誘われなくなるとか喋ってもらえなくなるとかその程度で、他の友達と遊ぶことにすれば解決する問題しかありませんでした。


ということは友達に嫌われることは自分の今後の人生においてあまり影響がなかったり、最優先にすべきことではなかったのです。


そしてその次に人間の幸福度みたいなものを考えました。

だいたいの人が幸福度を足算で考えると思うんですよ。
例えば、お金をたくさん稼いだからプラス1とか恋人ができたからプラス1とかそんな具合です。

でも僕は幸福度は引算だと感じたんです。
産まれた瞬間が幸福度100でそこから死ぬまで減点されていく。
そして最後にいかに点数が多く残っているかが人生がどれほど豊かであったか、であると考えたんです。

と言うことは減点が少ないほどいいわけですから、我慢したりストレスを抱えることは減点を増やす行為なのでよくない訳です。


人に嫌われることに大きなリスクがない上に幸福度の減点を小さく抑える必要があるならば、友達からの誘いを断りたい時にはハッキリ断るようにした方が良いと気づいたのです。

その結果小学3年生から、だいたい週3くらいのペースで家でゴロゴロするようになりました。


そしてその考え方は今でも自分の行動を決める上でかなり重要な部分を占めていて、自分の許容範囲を越えることは絶対にしないことにしていたりします。

それによってかなりストレスのない生活を送れていると思います。

そしてそんな生き方をしてきて気づいたことなのですが、人ってそんなに簡単には嫌われないものなんですよ。


なのでなおさら自分の意思を他人に合わせて抑えたり我慢したりする意味なんてないんじゃないかなと感じます。

自分の幸福を考えてくれるのは自分自身だけです。

なので自分がしたいようにすればいいし、それをよく思わない人がいたとしても自分の人生においてちっぽけな存在でしかないし気に留める必要もありません。


と、小学3年生の僕が言ってますよ。



以上です。

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