書評:『終わりの始まり──ローマ人の物語[電子版]XI』(塩野 七生)

終わりの始まりは、哲人皇帝マルクス・アウレリス。賢帝の最後と言われている人だけれども、実は、ローマ帝国の終わりを作った人の一人として描かれている。

もっというと、その前の平和おじさん、皇帝アントニウス・ピウスが、平和な世の中を続けたことが、ローマ帝国の人材、特に軍人面の人材育成に悪影響を与え、ローマ帝国衰退の原因を作ったという仮説が興味深い(逆に、ローマ帝国自体、ハンニバルにイタリアを蹂躙されて、必死に戦っている間に兵站を含めた軍事力が強くなって、いつの間にか地中海の大国になっていたことを考えると、その対比はなんとも皮肉である)

アントニウス・ピウスおじさんが平和な世の中を作ったのは良かった。が、「皇帝はずーとローマにいれば良い」風潮を作ってしまったので、皇帝の候補者が、前線に出なくなってしまった。ローマ皇帝は、軍の指揮官。前線を見たことがない人が皇帝をやると、感覚がなくて色々判断を間違える。

ローマ帝国は兵站が強いので「練度を上げた軍隊を、たくさん集め、兵糧等もしっかり持血、一つ一つ拠点を作りながら、相手の本拠地を撃滅させる」ことで、大抵の戦争は勝てる。しかしながら、哲人皇帝アウレリスは戦力の逐次導入をしたりと、軍事面でよろしくない。戦争をしたくなかった人なのだろうけど、初めて戦線で死ぬ皇帝となる。哲学にふけるリーダーというのは、私はどうなのかと思う。

哲人皇帝が書いた『自省録』という本を私は翻訳で読んだことがある。面白い本ではあるが、リーダーとして大切なことは他にあったんじゃないかという感想を持った。ちなみに、この本を読むきっかけになったのは、三菱重工の宮永社長の座右の銘のような本だというのを知ったことだ。皇帝マルクス・アウレリスの頃のローマは、外的環境が平和から蛮族が一気にせめてくるなど、不幸が襲う時期である。重電ビジネスが落ち目の三菱重工を率いる宮永さんが『自省録』が好きなのはよく分かる。でも、やっぱり、ちょっと違うんじゃないの。考えるより、一つ一つの戦いで勝てよ、みたいな。私にはギリシア哲学というものが体質に合わないらしい。

哲人皇帝は悪い人じゃないけど、リーダーとしてはギリギリ賢帝にならない人だと思う。『自省録」という著作は面白いので、後世に人気はあるのだろうけど。

次の皇帝は、コモドゥス。アウレリスは最後、ゲルマニアに攻め込んで平和を作るという作戦を立てて実行するのだが、中途半端なところで死んでしまう。哲人皇帝は、子供のコモドゥスに託す。しかし、この皇帝コモドゥスは、さっさと戦線を引き上げてしまう。急いでやるものだから、講和の内容がひどい。講和の内容がひどいが、戦略的に正しかったようで、これから60年の平和を作る。

五女一男の末っ子長男コモドゥスは、一番上の姉に命を狙われ、人間不信に。親族含めた元老院議員を殺しまくって、評判が落ちる。ベレンニウスを重用し、政治はまあまあもつ。ところが、お付きの奴隷クレアンドロスの言葉を信じて、色々殺してしまう。クレアンドロスは、国家のことなど考えない奴隷なので、私腹を肥やす。官職を売り出し、ローマ帝国はおかしい方向に行く。皇帝コモドゥスは、首謀者が分からぬまま、愛人と召使いに暗殺される。

外的環境の変化もありつつも、一見良さげに見えるリーダーを間違えると、国家が傾くという例で、この巻も面白い。

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