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『リー・クアンユー回顧録〈下〉―ザ・シンガポールストーリー』(リー クアンユー)


上巻に続いて下巻。こちらは構成が変わって、テーマ別の構成と、外交が中心になってくるので、国別の構成で話が進む。シンガポール独立後のシンガポールの歩みである。

この本を読んでわかるのが、華僑の気持ちであると思う。李光耀さんは、優秀な華僑なのである。その人が、多民族国家で資本主義国家であるシンガポールを設立し、高い数学的能力を活かしながら、合理的で清潔で汚職のない資本主義国たるシンガポールをどう作ってきたのかがよく分かる。

上巻がベンチャー創業のような物語であるのに対し、下巻は完全なる政治。国家の政治、政策、外交について話が続いている。シンガポールが、いかにして、一人当たりGDPの高い先進国に成り上がっていったのか、そのリーダーの政治的手腕の高さ、外交的なバランス感覚の鋭さ、経済的なセンスの良さ、いかにして政権に有能な人材を登用し続けられるシステムを築いていったのかが、よく分かる一冊である。

最初は安全保障。旧宗主国のイギリスが離れていく中、その影響を受けつつ、問題を抱えるマレーシアと国防を整える。共産主義に怯える中、空軍をシンガポールが整備し、海軍をマレーシアが整備するなどの分業を通じて、ASEANの国防における生き残りを図る。余裕のない中での安全保障政策は決して間違えられない。米国が守り続けてくれた戦後の日本の政治家には育たない、鋭い国防の感覚がそこにはある(明治時代の陸奥などにはあった感覚なのだろうが・・・)。

経済もそこに深く関わる。英軍基地があることで、GDPが支えられていたのが、英軍の撤退で場所と仕事に穴が開く。そこに、外国企業と産業の誘致によって経済を支えていく。そうするための制度を整え、政府支出を進めていく。そして、それが成功する。金融セクターも作っていく。国民の教育を進め、人材の競争力を確保する。

シンガポールの基本政策は、
(1)資本主義、非共産主義
(2)腐敗が全くない政府
(3)グローバルに通用する法律・制度
(4)効率的な社会システムの運営
(5)成長産業のニーズに合わせた国民の教育
(6)多民族国家
(7)清潔な街

といったところだろうか。

周りの制度の整わない東南アジアの中で、英国式をベースとする近代的な社会制度を整え、安心して外資が展開できるプラットフォームを用意して、多国籍企業のアジア展開の拠点を置く場所にしてきたわけである。

外交はオープン戦略で、非共産主義は貫くが、基本的に全方位外交で公平に接していく。二股外交とは違う、誠意があり、ポジションをはっきりさせた上での中立を保っていく。

共産主義の浸透からを守ること、米ソの対立軸、ソ連の南下に対する中ソの対立バランス軸、英米のパワーバランス、多国籍企業との関わり合いなど、世界のパワーバランスを見極めた上で、シンガポールは適切なポジションを見つけてとり、各国元首との会談を通じて慎重に意思疎通してきた様子が手に取るように分かる。李光耀を見ていると、同じ時代を生きたものとして、「ぼーっと生きてんじゃねーよ」と言われている気分になる。

そして、李光耀はアジアの参謀でもあった。色々な国々の相談に乗り、外交上の仲介役をよくやった。その根本は、小さな国シンガポールにおける経済の成功がある。積極的に海外の視察を受け入れ、経済発展の秘訣を教えてやる。それを通じて各国元首との関わり合いをもち、各国の立場を高い知性でちゃんと理解する。立場をしっかり理解した上での仲介を通じて、地域のパワーバランスを取っていく。

李光耀は華僑である。でも非共産主義者である。なので、中国からしてみると、同胞と見たくなるが微妙な距離感を保ち、非共産主義者の華僑というポジションで中国と接する。台湾とは国防の共同訓練の関係があり、中国との距離を気にしながらも関係を築く。米国と中国の双方にパスを持ち、米中の仲介やアドバイスを行って、地域の平和に貢献している。世界をまたがる政治家であるなあと思う。

ただ、李光耀の存在は、日本にとってはマイナスの面もある。

現在、米中のパワーバランスが崩れ、日本は中国の脅威にされされているが、その裏には、名参謀たる李光耀がいることは事実である。鄧小平に知恵を授け、中国に大きな経済的な力をつけさせるきっかけを作ったのは、李光耀である。米国とは違う、管制のある資本主義経済を作り出したのは、シンガポールであり、中国である。民主主義に比べ、全体主義的な傾向があることは否めない。それをそれで肯定してきたことで、今の中国というのができた面もある。李光耀のその考えは、この本にしっかり書かれており、それと今の中国を思うと非常に複雑な思いを日本人としては抱くことになる。

極めて頭脳明晰で、実力のある政治的リーダーであった華僑の李光耀。この人物の回顧録を理解することで、アジアから見た世界というものが見えてくるし、日本の長期の経済的な停滞の理由も分かってくる。

日本の総理大臣・高級官僚・若手のエリート官僚に至っては、必読の書にするのが良いのではないかと思う次第である。


と、ここまできて、自分の生活というところで振り返ると、「シンガポールって住みたい国ではないな」と思ってしまう。

全てが人工的で、緑は感じられるが自然が感じられない統制感。これが、私はあまり好きになれない。ある程度、本能の赴くままに生きてこそ、人は幸せであるような気が、私はしているのである。

政策・政治という意味では参考になるが、全てを真似るのではなく、必要なところだけをピックアップして活かすというのが、日本という国には役立つんだろうなと思いつつ、この本の読書を終えた。

まあ、分厚い本で、長かった。でも、面白くて、為になる一冊だった。


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