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書評:『人類を前に進めたい チームラボと境界のない世界』(猪子寿之, 宇野常寛)

チームラボのお台場あたりの施設に行きたくなった。チームラボには、後ろにあるコンセプトがしっかりあって、あの作品たちが出てくるんだなと、その制作に近いところが分かって面白い本だった。しかしながら、もう少しシンプルにメッセージを書いてくれると嬉しい。

最初に言っておくと、私は猪子さんのファンである。猪子さんはチームラボというチームの名前を使うので、どちらを褒めれば良いのかわからないが、チームラボは、日本の産んだ偉大なアーティスト集団である。この本にはない頃に一度だけお会いしており、その後、スヌーピーの絵巻をみて感動したのを覚えている。ちなみに、お会いした時は、「ドラえもんに出てくる、のび太くんの『ドラえもーん』だけをつまんで一つの作品にすれば面白いのに、著作権の関係でできない。日本の規制と制度は何事か!」という話をずーとしていた。

この本を読み出すと、私には、藤幡正樹さんの『Color as a concept』を思い出した。この本は、「デジタル化によって色から物質性がなくなって、コンセプトになった。今まで青色などは高い絵の具を使わねば出せなかったが、デジタルは数字なので、誰でも貴重な色が出せる」という本であった。作品の裏にある考え方のしっかりしたものであることに感心した。藤幡さんは日本が誇るメディアアーティストである。

チームラボの裏にあるコンセプトは、お台場の設備の通り、「ボーダレス」であり、「境界はない」ということである。

ハラリの『ホモサピエンス全史』がいう「虚構」というものがある。例えば国境は虚構であり、実際に線があるわけではない。ありとあらゆる「境界」という虚構がないことを、アートを通じて感じれるようにするのが、チームラボのコンセプトであることがよく分かった。そして、作品を積み重ねるとともに、技術と周りの理解が進んで、チームラボの作品が進化していることが分かった(まるで作品ごとに、CG技術を更新してきたピクサーみたいだ)。最近は、チームラボの作品に遊びに行けていないので、ぜひ、子供を連れて遊びに行きたい。

ほんの中身を少し触れておくと、

・作品と作品の間に境界がない
・作品を見る人と人の間に境界がない。他人の存在は心地よいものだ
・作品と自然の間に境界がない
・公私には境界がない
・国境はない

最初に出てくる、「モナリザを見るのにルーブルが混んでいるとうざいけど、チームラボの作品は、人がいると反応があるから、他人がいることで作品が楽しめる。人の関係を不快なものから快適なものに変える」というのが興味深い。

自然の章にでてくる話も好きだ。私も同意見なのだが、「自然は情報量が大きい。国立小学校受験や中学校受験テストにでてくるような認知的な問題の情報量は実は少ない」ことは情報科学やコンピューターを扱う人ならすぐに感覚的に分かってしまうこと。自然を作品に取り込んだ方が、より複雑で美しいアート作品ができる、ということらしい。

地方が面白いというのは、都会の人工物と情報量の自然が田舎だとすぐ近くにあるので面白いという話。この話は、地方再生として面白い。

身体の文脈も私はこれだと思っていて、身体を使う運動の方が、視覚を中心に頭の中で文字を見るだけより情報量多いよねという話。五感を使って感じてこそのインタラクションだということだと思う。

最後に食べるのむまで取り込んでいるのが、情報量の文脈だろう。昔、猪子さんが、「旨味の秘密」を考察していた文章を読んだことがある。結論は、「調理すると旨味が出る。旨味を追求すると消化が良いから」であったようであるが、この辺り、五感を全て拡張するメディアアートの醍醐味であろう。

これまでは、言葉と文章を中心とした価値観であったけれども(言わば要約力)、これからの天才は言葉にならなくても面白いというのがあるよね。という話が教育に話にもずれていっている。

炎の話が面白い。炎は立体的なものなのだけど、平面的に見える。一切は化学反応でものでもないのだけど、人にはものに見える。これをアートで見えるようにした、という話。

美の価値観の話もでてくる。アートが人の感性と価値観を変えて、時代を変える。今までの工業化社会とはこれから違うよねという話。

あとは、ボーダレスの話。お台場などのチームラボボーダレス、チームラボプラネッツは境界のない世界を作っている。境界が感じられない、境界を認知できないように施設を作っているんだけど、施設には物理的な境界があるというのが面白い。そういう世界を体感できる世界を作っている。


と、猪子さんとチームラボの作品には、確固たる哲学と思考が裏にあって画期的な体験が提供されている。そのあたりの思考力や感性を含めて、チームラボのアートの実力であると私は思っているのであるが、そういう理解をする人は日本には少ないと思う。まあ、日本の指導層は、文章を書くのが得意な偏差値近い官僚か、旧時代である工業社会のドンであるわけで、猪子さんたちのボーダレスというコンセプトは、日本の既存の指導層には、理解できないに決まっているのだけど。

「日本にはスティーブ・ジョブスのような天才はいない」というバカがよく見受けられるが、違うのである。日本には天才がたくさんいて、その代表が猪子さんやチームラボである。その証拠に、国境をこえてチームラボの作品は受け入れられているし、スティーブ・ジョブスの奥さんは、猪子さんが大好きなのである。

日本にいないのは、天才をきちんと評論できるちゃんとした評論家、批評家であるに過ぎない。新しい日本の経済産業を作るとすれば、ちゃんと、こういう天才を見出し、力を発揮させて、上前をはねるような経営者と社会的な仕組みが必要なだけである。

何が言いたいかというと、「どこかどかーんと出資してチームラボにディズニーランドみたいな大規模設備を作ってやれよ」、とか、「国立なんとか美術館とか最高につまんないから、大量に国費を投入し、チームラボ作の観光スポットになる現代美術館作ってしまえよ(但し、国立博物館でも国立科学博物館は面白いから除外しておく)」ということである。VCとかの出資の仕組みとか、国費の使い方とか下手すぎでしょ。

国立西洋博物館とか、令和のこの世の中に、外国特に欧州の有名画家の作品を持ってきて国立博物館に飾っているという時点でとても恥ずかしいわけで、過去の書道の作品とか、伝統工芸品とか飾った方がよっぽど面白いと思うし、日本には現代アートを引っ張るチームラボという人たちがいて、グローバルに国境を超えて受けているのであるから、彼らが日本で生まれたという幸運を悪用して、現代美術館を作って、インバウンドの集客に使えばいいのだと思う。


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