書評:『悪名高き皇帝たち──ローマ人の物語[電子版]VII』

アウグストスの後のティベリウス、カリグラ、クラウディウス、ネロを以って、「悪名高き皇帝たち」とされている。悪名が高いのは確かだが、愚かな皇帝だったのとはどうも違うように描かれている。

ティベリウスに関しては、ローマ市民の人気はなかったが、実績は、賢帝の部類の方である。アウグストスの政治をよく継いでいる。ドイツのあたりでは、エルベ川からライン川への戦略的撤退を果たしている。パクスロマーナもしっかり実現し、緊縮財政を以って国家の財政を立て直すことで、増税を回避し、安定した軍隊をもち、配置することで、ローマ全体の平和の基礎を作り上げた。ただ、最後の方はカプリに隠遁し、人嫌いになって誰にも合わず、手紙で政治を行ったので評判が悪かった。家族に恵まれなかったのは、アウグストスのせいという話がある。人気はないが、しっかり仕事をした悪名高きティベリウスであったと思う。

カリグラは、人気のあったゲルマニクスの三男。ティベリウスが盤石にした基盤の上で、お金をばらまいて人気を取ろうとした愚かな人。使いすぎてお金がなくなり、金策をして、せこい税をたくさん作っているうちに、人気もなくなった。ユダヤ人とギリシア人の争いに、中立仲介の立場を取るべきローマ帝国のポジションを間違えて、一神教のユダヤ人に「自分は神である」といっていては、政治外交もうまくいかない。勘違い野郎である。最後は、近衛軍団に裏切られて、殺害される。この人は、悪名高き愚帝である。

次のクラウディウスは、予期せぬ登板ということで、50歳の登板。ちょっと完全なる健康体ではない人。健康が第一とされた時代に、健康ではない皇帝ができてしまった。歴史家皇帝ということで、歴史大好きだけあって、カリグラのような無教養ではなく、外交や政治はしっかりやる。カリグラが廃止した売上税を復活させて、財政も再建。歴史家皇帝らしく、カエサル・アウグストスの時代に戻して、まずはリセットという形。また、優秀な解放奴隷の秘書官を使って官僚組織を作って政治をしたので、政治は安定した。パクスロマーナが続いていたので、帝国全体の経済自体が大きくなっていたこともあり、ローマ帝国は、無事に治る。ただ、若い嫁、メッサリーナが味噌をつける。浮気しまくりの若い嫁は、皇帝に頼んで告発をしまくり、皇帝は言われた通り適当に色々な人を抹殺する書類にハンコを押していたので、悪評を残す。メッサリーナは処分して、秘書官の進めるままに、姪のアグリッピーナと結婚するが、大好きなきのこ料理に毒を盛られて暗殺される。家族大事である。

アグリッピーナの子供ネロ。私でも知っている悪名である。ただ、この悪名皇帝も全部悪かったのではないようだ。特に安全保障・外交系は悪くなく、ブリタニア(イギリス)問題も解決したし、アルメニア・パルティア(イラン・イラク)問題も名将コルブロに対処させて、うまく解決している。詩が好きで、ギリシア文化を愛し、詩人・歌手としてナポリ、ローマで歌ってるところから、「ちょっとねー」となる。ローマで大火事が起きて、市内をギリシア風に豪華に改造しようとして市民に嫌われる。そらすために、キリスト教徒の迫害をして、後世のキリスト教世界から敵視されることで、必要以上に悪名が高くなる。歌手として、アテネに旅行に行ってしまうあたりからおかしくなって、コルブロをはじめとした司令官を呼びつけて殺した。属州の長が反乱を起こして、元老院からもダメ皇帝の烙印を押され、近衛軍団に逃げられ、皇帝がただの人になって、国家の敵となる。最後は召使いの四人しかついてこなくて、最後は、自死。まあ、外交・安全保障面で実績は残したが愚帝である。

愚帝の話というのは、読んでいても嫌になるし、気分が乗らないし、覚えていない。この巻は、ティベリウスとクラウディウスがいないととても読む気になれないほど、憂鬱だ。まあ、次の巻の最初に比べれば、まだましなのだが・・・。

ローマの歴史が重宝され、「帝王学」なる言葉が生まれるのは、皇帝稼業というのが、資本主義社会における会社の社長によく似ているからであろう。愚帝というのがそのままダメ社長に当てはまる。本当にダメな皇帝は、カリグラ、ネロである。やっぱり、実績がダメだとダメ。人気がないと悪名を残す。人気を取っても実績がないと人気もいずれ落ちるので(例:カリグラ)、実績が一番大事。実績を上げたけど人気が出なかったティベリウスというのもあるので、実績と人気の双方あるに越したことはない。クラウディウスが示すように、ある程度しっかりした会社を継ぐのであれば、過去の歴史をしっかり学べばそれで良い。愚帝の後だと、クラウディウスのように、賢帝の施策に戻すだけでそこそこの実績が出せる。ただ、気をつけたいのは、家族に恵まれない場合に、仕事を知らぬ家族に仕事の口をださせてはいけない。実績の割に殺されて終わるクラウディウスが分かりやすい。

こういう愚帝を見ていると、大会社の後継には、結婚相手選びと帝王学が授けられるのも、合理的だと思える。皇帝の立場からすると、優秀な人材は、自分がなるのではなくて、うまく使えれば良いのであって、自らが優秀になる必要はない。課題の次元が違うのである。

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