書評:『キリストの勝利──ローマ人の物語[電子版]XIV』(塩野 七生)

今のイスタンブールに首都を移し、キリスト教の国に衣替えした皇帝コンスタンティヌス。その次は、3兄弟と2叔父の分散統治から始まるはずであったのだが、実際におきたのは兄弟喧嘩でしかなかった。

生き残ったのは、次男の皇帝コンスタンティウス。まずは叔父を殺し、兄弟を殺しとやっていて、いざ唯一の皇帝になってみたものの、この時代は、蛮族が略奪を繰り返しているので、一人では広大なローマ帝国を統治することができない。東にペルシア、西の蛮族退治ということで、一人で治らない。もう一人皇帝が必要になるが、親戚を全部殺してしまったので、適任者がいない。殺した叔父の息子二人がいるのを思い出し、ガルスを副帝にする。

用事が済むと副帝ガルスも呼び出して殺してしまう。その弟ユリアヌスを副帝にする。このユリアヌスは用心深く、有能であった。蛮族に荒らされたガリア(フランス)を寡兵を持って制圧し、自らの勢力を強くして、帝国の西を回復する。この時代の皇帝コンスタンティウスは、宦官に支配されている。皇帝は、戦争でも教会で祈っているだけで前線には出てこない。宦官は閉鎖的で嫉妬して陰険なのはどこでも変わらないようで、事あるごとにユリアヌスの足を引っ張る。優秀な副官を呼び戻してみたり、せっかく作った西方の軍をユリアヌスから切り離してみたり。しかも、その軍を逐次投入して、減らしてしまう。

とうとう、前線の兵士たちからユリアヌスが皇帝に推され、反乱・内戦気味になるが、皇帝コンスタンティウスが病気で死んで、めでたく皇帝ユリアヌスになる。この人は、肥大化した宦官官僚組織をリストラする。皇帝のお付きの人々が肥大化したのをリストラしまくる。また、キリスト教一辺倒だったのを、昔のギリシア・イタリアの多神教に戻そうとするが、もはや、神殿は壊され、キリスト教には、教会組織と経済力があるので、この宗教改革は中途半端に終わる。

キリスト教徒の多いアンティオキアで住民の不評を買うが殺されるまではいかない。武力の高い皇帝ユリアヌスは、ペルシアへの遠征を試みる。実際、ある程度はうまくいって、首都まで落とせそうになるのだが、軍を大きく二つに分けてしまい、分けた一方が合流できない事で、軍が孤立して死ぬ。兵站を川の海軍だけに頼る方法が貧弱だった。川下りで物資を運んでいたのだが、これを戻す兵站がなく、結局船ごと燃やすことになり、撤退戦で徐々に兵を削られて、皇帝ユリアヌスも没してしまう。

そのあとは、蛮族の略奪が激しくなり、蛮族出身の皇帝が増える。もはや、武力の人たちで、騎馬軍団で盗賊叩きに奔走するのがこのころのローマ皇帝の姿。そんな中、神の名において、ローマ皇帝を指名するキリスト教の司教の力が強くなる。

ちなみに、コンスタンティノーブルを作った皇帝コンスタンティヌスは、死ぬ直前までキリスト教の洗礼を受けていない。洗礼を受けると、迷える子羊である皇帝は、司教を通じた神の声を聞かねばならなくなってしまい、皇帝の権力が落ちる。

この時代の皇帝たちは、病気などで、在任中に洗礼を受けてしまうので、司教の説教を受けることになる。

有力な元老院議員が、司教にスカウトされていく。その中で、有能だったのがアンブロシウスで、こいつが、キリスト教の異端と異教を制圧していって、皇帝が現場で蛮族狩りをしている間に、国の行政などを実質乗っ取ることになる。

寛容を旨としたローマ帝国は、キリスト教以外の異教を排斥し、カソリック以外のキリスト教を異端とすることで、社会の分裂を生み出し、内戦が多くなる時代になり、ますます、ローマ帝国の軍事力は細り、蛮族は欧州中を闊歩し、欧州は荒廃するのであった。

読んでいて思うのは、一神教で大きな帝国を統治するのは無理があるなということ。(塩野七生さんのテーマがそれなので、誘導されている感がかなりあるけど・・・)、唯一神が皇帝を権威づけすると、その神の解釈を厳密にする必要があり、解釈から、宗教の「正当」と「異端」が生じるしかなく、一神教の中で正当による異端叩きが発生して、喧嘩になる。

企業においても、ある程度大きくなった時にミッションによる一神教は無理であると思うわけだ。一糸乱れず唯一神を信じる厳密な政体を作ろうとすると、異端叩きが生じて、組織の中で内戦になって、組織がバラバラになるんだと思う。

ある程度ざっくりとした仕組みにしておかないとスケールしない。例えば、バフェットのバークシャーハザウェイのように、完全なホールディングスの形をとって、簡単なルールと社内税金制度を作れば、様々な企業を取り込んだ大企業グループを作ることはできるだろう。

実際の社会では、ミッションを掲げた一神教企業が無数に存在する多神教の社会であるわけで、企業の単位を無駄に大きくする必要もなく、一神教企業に分割して、放置すればいいだけなので、ミッション企業で良いのだが。

もう一つ、イスタンブール系の皇帝たち(名前が似ていて面倒臭い)に思うのは、兄弟喧嘩は人間の普遍的なことなんだなということ。蛮族が国土を荒らして、安全保障上、大きな軍隊が必要な時に、代を重ねたどこかで兄弟喧嘩が起こり、内戦になって、軍事力が削減され、安全保障がますます酷くなる。蛮族という盗賊に対して軍事力が効かなくなった以上、科学力のような文明を用いて、画期的な防衛技術の開発を通じて、街を守るぐらいしか方法はない中、キリスト教に走って、イノベーションを阻害してしまったのだから、ローマ帝国が滅びるのもいた仕方なかろうという気がする。

その上、オリエントの風習を真似して、王様は金の冠、皇宮には宦官がはびこり、陰険な官僚主義を取るとなれば、イノベーションもなくなり、安全保障の現場も危うくなる。中世という欧州衰退・没落を招き、中国などの東洋に富を持っていかれる時代になるのもわかる。

ローマ帝国は、フン族などの文明のない民に負けるわけだから、ローマ文明の科学力も大したことはなかったのかもしれない。法などの社会科学の方は優れていたのだろうが。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?