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書評:『ハイパーインフレの悪夢』(アダム ファーガソン)

日本円はこれだけ紙幣を発行しているのに、何故インフレにならないのか、というのが私の素朴な疑問であった。そして、インフレという感覚がなくなる今日この頃、インフレとはなんなのか、インフレがきた際に取るべき行動はなんなのかを知りたくて、この本を手に取った。

ちなみに、冒頭に池上彰さんがわかりやすい解説を書いている。

池上さんの冒頭の文章が読みやすいだけに、その後の邦訳の不味さが光る一冊となっており、大変、読みにくい。読み切るのが辛い。読み切るのが辛いのは、話がつまらないせいなのか、訳が悪いのか、私がドイツ人が嫌いなのかはよく分からない。とにかくつまらないので、読み切るのに大変時間がかかった。

最後の方は、面白くなったので良かったのだが、なにせ、前半が辛い。とてつもなくつまらない。でも、読み切るとすごく為になる本だとは思う(池上さんが、全部書き直してくれればいいのに)。

話は、第一次世界大戦末期から第二次世界大戦が始まるまでの「ヒットラーの時代の直前」までを描く。その全期間でドイツはインフレなのである。日々、物価の上がるオーストリア、ハンガリー、ドイツ。貴族がどのように落ちぶれていくのか、中産階級がいかにして貧乏になっていくのかが刻々と描かれている。

この時代のインフレというのは、なんと、マクロ経済の構造がまだ分かっていないようである。意外だった。紙幣を乱発することが、貨幣価値の低下につながっているということに誰も気づかなかったという。人々は、「物価が上がっている」と感じていて、「自国の通貨が他の通貨に負けている」とは考えない。「紙幣の濫発が、自国の通貨価値を下げている」認識もなかったという。もっとすごいことに、「中央銀行自体がそれに気づいていないか、気づかないふりをしている」というマヌケぶりである。

(まあ、第一次世界大戦で膨大な賠償金をドイツにかけて二度と立ち上がれないようにしようという浅はかな考えを持ったフランス人によって、窮鼠猫を噛んだドイツが、インフレとそのあとの失業において、国民全体が怒りに満ちて、第二次世界大戦が勃発するという流れはあるわけだが、物価が上がっている中、紙幣の乱発を平気でやるのはマネーリテラシーの欠如であるし、やっぱり、中央銀行はマヌケである)

この辺りは、流石に現代とは違うなと思う。現代においては、少なくとも日銀のスタッフは、紙幣を乱発すれば、貨幣価値が下がることを理解している。気の利いたサラリーマンもそれを理解している。その辺りは、昔とは違うと思う(現代でそれを理解していないのは、MMT論者ぐらいのもんだ)。

インフレというのは悲惨だ。農家が食べ物を都市部に売らなくなり、都市部の人間は飢えてしまう。都市部の中産階級の国債を買った善良な年金生活者の市民は、食べるものを失ってしまう。

そんな中、大儲けする人たちも出てくる。ユダヤ人である。

ユダヤ人は、銀行から借金をたくさんして、工場や事業などの実物資産を買う。買って、在庫や生産物を値上げして売って、出きたキャッシュで借金を返す。すると、実質金利がマイナスなので、大儲けできる。それで、また借金して同じく儲ける。食料品の会社を買ったり、食料を買い占めたりする。マヌケな貴族のなけなしの宝石と食料を交換し、ユダヤ人は贅沢のし放題である。豪邸を買う。暴飲暴食をする。

そして、ユダヤ人はドイツ人に嫌われ、ヒットラーの世の中で大量虐殺にあうのである。

『アンネの日記』が「ユダヤ人がかわいそう」というストーリーなのに反して、この物語は、「そりゃ、ユダヤ人も虐殺されるかもしれん」と思わせるだけの横暴ぶりである。犯罪ではないが、非道徳な行為に見える。

アンネには罪はないだろうが、アンネのおじいさんやお父さんがお金持ちだったのは、由緒正しく金持ちだったのではなく、マヌケな中央銀行をだまくらかして、国を滅ぼし、財を築いたのかもしれない。おじいさんの代からアンネの日記が始まっていたら、世の中の人が受ける印象も随分と違うと思う。そこから描けば、教養に満ちたバランスのとれた物語になると思うのは私だけだろうか。

この本を読んで、「じゃあ、私などの日本人はちゃんとインフレを理解しているのか」と自問した。ここ20年、日本円の購買力はものすごく下がっている。2000年ごろに南欧州に旅行すれば、結構いい暮らしができ、日本人はお金持ちだった。今は、貧乏人である。イタリアに行って、物価が高いと思うことなど、昔はなかった。今は、よくても日本と同等程度の物価である。

為替が動かず、金利がほぼない今の日本で現金を持っている間に、他国では物価が上がっている。これが示すことは、同じ1万円で米国で買えるものは10年前よりしょぼくなっているということ。これは、購買力の低下であり、日本円の価値の低下なのである。しかし、我々日本人は、10年前の10万円は今でも10万円と思っている節があるのではないか。

まあ、賢い人は、せっせと借金をし、土地や不動産の実物資産を買い、アベノミクスで低くなった金利を活用し、低利の長期負債に借り換えている。土地や不動産の価格は上がり(現金の価値は下がり)、土地や家を転売すれば借金が返せる。これは、借金の棒引きである。

私は、これをしなかった。

結局、「インフレを理解していなかったのだな」と思うし、日本は実はインフレが起きている(少なくとも自国通貨の価値が実質的に下がっている)にも関わらず、物価が下がっていないという統計に騙されて、借金をしてこなかったんだと今更思う。

日本はまだまだハイパーインフレではない。ドイツのハイパーインフレはすごい。コーヒーを飲む間にコーヒーの値段が変わってしまうのがハイパーインフレである。

インフレ時にやるべきことは、まず、「手持ちの現金を安定した外貨に替える」である。外貨ではなく、金などでも良い。

もっと攻めるなら、「固定利率で借金をして、外国の債権を買う」でよい。実質の利回りがどんどん増えるから、銀行に損をさせて、自分がお金を得られる。まあ、借金までしないであっても、外貨に替える、外貨に逃げるというのは必須であることがよくわかった。中央銀行が銀行にお金を貸すので、国を滅ぼして、自分が儲ける行為であるのだが。

国内で確保するなら、田舎の土地。「畑や養豚場を買っておけば良い」。インフレの混乱している時期に強いのは実物なので、食料や水の確保がしやすい田舎を確保するのが良いと思う。


しかし、インフレというのは祭りだなと思う。みんなで踊ってワイワイする。あぶく銭を得るものがあれば、落ちぶれる中産階級もいる。貧富の差が広がり、外国人が国内で贅沢をし、国民は惨めな思いをする。国内の失業は減り、実質の借金は軽くなる。インフレは、麻薬のようにやめられなくなる。やがて、紙幣は信頼を失い、都市に食料がなくなる。

紙幣の増発を止めると、インフレは止まるが、猛烈な失業と倒産が始まり、今度は社会不安が訪れる。

結局、通貨は安定しているのが一番である。


あー、なんか、感想を書いているうちに、日本は実はインフレなんじゃないかと思えてきた。自分は、果たして、正しい行動をしているのだろうか、ちょっぴり不安になってきたので、もう一度、自らの行動を考えてみようと思う。

最後に、この本の最後の文章を引用して終わろうと思う。

戦争中には長靴が、逃亡中にはボートや貨物自動車の座席が、世界で最も重要なもの、莫大な金より欲しいものなのかもしれない。ハイパーインフレの最中には、家族の銀器よりも1キロのじゃがいものほうが、グランドピアノより豚肉の脇腹肉のほうが一部の人にとっては価値があった。家族の中に売春婦がいるほうが、赤ん坊のなきがらがあるよりもよかった。餓死するよりも盗むほうがましだった。名誉より暖房の方が心地よく、民主主義より衣類の方が不可欠で、自由よりも食べ物の方が必要とされていたのだ。

家族と食料を大事にして生きていこうと思った。


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