書評:『学問のすすめ 現代語訳』 (福澤 諭吉, 斎藤 孝)

言わずと知れた福澤諭吉(以後、福澤先生)の著書である『学問のすすめ』の現代語訳版です。

私は、この本の内容は教養そのものである、と思います。

個人と社会がどのように関わっていくべきなのか、洋学者たる福澤先生がわかりやすく解説していくのがこの本です。そもそも、役に立つ欧米の学問を小学生にもわかるように説明していく本です。自信に満ちていて、飾り気のない福澤節が炸裂していきます。

江戸時代の日本人の封建制度に支えられた奴隷根性を叩きなおすために、福澤先生の啓発書は続きます。そして、役に立たない腐れ儒者のアンチテーゼとしての生活にそのまま使える「実学」を解説し、さらに高い志で社会に貢献することを平易な言葉で説きます。

翻って、民主主義制度を整える現代でありますが、果たして、日本において奴隷根性は治っているのかは疑問です。現状の大企業のサラリーマンは、飼いならされた奴隷で、まるで、江戸時代の百姓や下級武士のようです。威張っている経営陣はまるで将軍様と旗本のような方も見かけます。「そういうのは、品がないからダメだよ」と福澤先生は説いているのです、明治時代に。

元の本の学問のすすめは、明治時代の庶民にわかりやすいように、話し言葉に近い言葉で書かれています。残念ながら今の現代語の本とは言葉が違うので、現代の小学生にはわかりにくいところがありました。この本は現代語訳されているので、その主旨からすると、現代人には、福澤先生らしい本に改まっていると思います。

一方、福澤先生はわかりやすくするために、江戸時代と明治初期の事例を多く引用しています。こちらの方は、今とは時代背景が違うので、明治の時代背景を想像するだけの教養がないとピンとこない内容になっています(そのズレだけに集中して、あれはダメだ、これはダメだと主張する低脳がそこら中にいるのは、無教養な人がいるからだと思います)。わかりやすい書籍という趣旨を考えると、今となっては、それが少し残念です。今、福澤先生が存命であれば、また違う事例を引いたことは間違いないと思います。

この本で解説されていることは、民主主義、政治、スピリット(心の構え)、ノブレス・オブリージュ(仏: noblesse oblige)、法治主義(私罰は愚か)、政府の役割(夜警国家)、男女平等、高度な文明/学問の追求、身分の愚かさ(平等と実力)、演説と品格、妬みの愚かさ、目標設定、世話(保護と指図、権利と義務)、批評精神、実行力、となっています。

これらの立派な内容が、小学生にもわかるように書かれているのであるから、この本が売れるわけです。しかも、時は文明開化。「実学を身につければ、誰でも豊かになれる」というジャパニーズドリームの時代ですから、この本の人気は押して知るべきでありましょう。

私が個人的に今の日本人が理解していないものの中で、一番ひどいものは、「妬みの愚かさ」と「私罰がいけない」であると思います。

福澤先生は、「妬みからはなにもポジティブなことは生まれない。妬みは、社会の害悪だ」と説きます。妬みのない人生というのは、自分が持っていないものを持っている相手を引きづりおそろそうとしない、ということで、自分は自分、人は人。説を決めて、気にせずやり切ることだろうと思います。福澤先生の爽やかさは、そこから生まれます。

私罰とは英語ではリンチです。

例えば、ネット上での炎上はただのリンチです。法で禁じられているわけでもないことを勝手に叩くのはただの私罰です。ネットの炎上に参加しているのは、暗殺の愚かさと大差はありません。

経済的に成功した人の重箱の隅をグチグチ論じて炎上させるのは、やっていることは腐れ儒者と同じです。例えば山本一郎氏のような腐れ儒者が、大衆を扇動して、新進気鋭の新興企業の経営者を実質暗殺していくのは、私罰の例です。

かつて江藤淳さんは、「批評とは世の中に出ていない良いものを見つけて、歴史の表舞台に立たせるもの」と教えていらっしゃいました。これの「良いもの」を「悪いもの」に変えると山本一郎氏になるのではになるのではないでしょうか。子供じみた勧善懲悪(スーパーヒーローが悪者を勝手にやっつける)は、法治主義を理解した品格ある行為とは言いがたい。

「権力ある政治家の不正を堂々と問うて、隠れた名政治家を表舞台に出す」、「権力ある大企業の不正を堂々と問うて、隠れた中堅企業を表舞台にだす」、のであれば、品格ある批評家の仕事なんでしょうけれど。

なんてことを思いながら、この本を読んだのでありました。
今年の献本はこの本にしたいと思っております。

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