書評:『新訂 蹇蹇録―日清戦争外交秘録』(陸奥 宗光)

「けんけんろく」と読むらしい。

是非、現代語訳で出版して欲しいのだが、残念ながら明治の言葉で旧文体。
江戸時代の言葉を引きずっているが、読めるとこれは面白い。

睦奥宗光は、明治時代の外務大臣。この本は、日清戦争に向う日本がどのような外交を繰り広げていたのかがよくわかる。明治時代の清および韓国が、西洋の国際常識を得る事が出来ず、いかにして非常識の中で外交を進め、戦争に突入し、戦争に負けていったのかが如実に描かれている。

この本を見ると、「戦争が外交の一部である」ということが良くわかる。私はこの全てを肯定しないが(戦争中は、戦争自体が目的になりうる)、この明治と言う時代は、外交的な目的の一部として(言い直すと、有力な覇権国同士の外交争いの一部の手段としての戦争)戦争が行われていたのであり、戦争によって何を得るのかを事前に明確に持たなければ、戦争で得るものはほとんど無い事が分かる。

睦奥宗光は外務大臣として、各国の情報を良く集め、意図を確認しながら、日清戦争に突入していった事が分かる。また、伊藤博文初め、明治の政治家には覚悟があり、事前に事態を想定しながら国政・外交を進めていた事が分かる。

それでもなお、ロシア、フランス、ドイツの内政干渉が引き起こされ、日本の戦勝の意義は削られてしまった。どうせ半島の領土をとっても削られるのであれば、なんらかの権益かお金を得ていた方が結果としては良かったのだろうが(結果論)、そのような戦争の終わらせ方を、当時の政府では事前に検討されていた事が分かる。

一方、滅亡にひた走った当時の韓国と清にはびこっていたのは、現代で言えば、大企業病である。大局観を持たず、今までの慣例に従い、脳死した政治家達は、外交の渦の中で埋もれ、自分の組織のローカルルールに従った結果、国際ルールについていけず、国際競争に破れ、大国の争いの中で埋もれて、韓国は国を失い、清はその力を失う。

その韓国と清を、現代の日本人は笑う事はできない。

少なくとも大企業では同じような論理がまかり通り、倒産したり、大きな外資企業に買収されてその形を失っている。

また、日本の政治も本当に大丈夫かは怪しい。
戦略の基本である「最悪の想定をしておき、その場合の対処の方針を予め立てておく」ことが日本の政治家中枢に出来ているのかは怪しい。

(自伝に近いものなので、良い事ばかりを書いて都合の悪い事は書かなかった可能性も高いが、それを割り引いても)明治時代の外務大臣、睦奥宗光の働きは素晴らしいし、その緻密さ、綿密さ、勤勉さと、モノの考え方というものは現代の日本人が爪の垢を煎じてのむべきものであろうと思った。

現代語訳の出版が待ち望まれる一冊である。

『新訂 蹇蹇録―日清戦争外交秘録』(陸奥 宗光)
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