徒然:僕のおじいちゃん

私の祖母は90歳ぐらいです。おじいさんは89歳で亡くなりました。

おじいさんはタイプライターを打てたので、キーボードを使う事ができました(勿論、ブラインドタッチです)。80歳になってから、「パソコンを教えてくれ」と私に頼んだので、私は、Macを教えてあげました。

「インターネットをしたい」と言うので、つなげて、当時大学生だった私は、祖父にemailを教えました。相手もいないので、私の大学時代のお友達のアドレスを教えてあげました。祖父は東京に住んでいましたが、大阪に住んでいる友達の友達にemailを送る訓練をしました。

 私:「Subjectは、件名だよ。テストって書こうね」
祖父:「分かった」

祖父の画面を覗いてみると、件名は、「送信訓練」になってました。

大阪の友達はメールを見て、そのSubjectにたまげたのでありました。(余談ですが、その後の本文の話題が「今度戦友会が大阪であるので、機会があればお会いしましょう」などの話題で、話題に大きな世代間ギャップを感じて、友達はどう返信していいか変わらず、数回の文通で筆が止まったそうです)。

その祖父は、Macで日記を書いていて、Texteditに日記を書くのですが、日本語と英語で書いていました(米国の文句が多かったように覚えています)。

今年、正月に久々に祖母に会いにいき(祖母は、ちょっとぼけてきてしまいましたが元気です)、祖父の霊前で線香をあげていると、

祖母:「うちのおじいちゃんはね、東京外語大の英文科だったのよ
    あの時代は、卒業生が5人しかいない、その一人だったの。
    それなのに(後略)」

という話をしていました。

最近英語を勉強して思うのは、「おじいちゃんはすごく英語が出来たんだな」と言う事です。東京外語大の英文科は、日本で英語がすごく出来る人の行くところだと思います。あのおじいちゃんの日記は、間違いのない英語で書かれていたんだなと思います(今度ファイルを探してみようかなと思います)。

そして、もう一つ私が英語を学んでいて思うのは、「英語が出来る人ほど、カタカナ言葉は書かない」ということです。私も気づくと、英語を学ぶに連れて、文章にあるカタカナ語が随分と減って来た気がします。英語をちゃんと勉強すると、どうも、日本語に訳してたくなるようです(英語の言葉は、カタカナではなくて英語で書くと言うのもありますが)。

私も「祖父の爪の垢を煎じてのんでおけば良かった」気がしますが、遺伝的に英語ができないという言い訳は残念ながら私には通用しないので、私は、真面目に英語の勉強をしようと思います
(そんな良い遺伝子を持った私より、若くしてずっとうまく英語をしゃべり書く人は多いので、英語が出来るようになるのに素晴らしい遺伝子が必要ないことは、私を以て証明できると思います)

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