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誰にとっての悪党

時折自分が物凄く悪党に思える。
悪いことを思い付いたり、一緒に泣けなかったり、知らんぷりをしたり。

自分にとっての正義が誰かにとっての悪になることは、幼い頃から知っていた。
アクションヒーローも幼児向けアニメも、己の正義を貫く悪の格好良さと、度を越した思い上がりの末路を描いていたはずだ。

今自分は、世界のどこかから見れば悪党だ。
見えているものもそうじゃないものもひっくるめて、夜の帳に隠しきれないほどの大悪党だ。

悪いことはしてはいけない。
悪いことをしたら謝るべきだ。

この二つは誰に習った記憶もないのに脳内に刷り込まれている。
親が教えたか?いや、別に悪いことをした経緯はない。子供が悪いことをしていないのに謝らせる親はそうそういない。(子供が悪いことにしてしまう悲しい親はいるだろうが)

良いことをしなくてはいけない。
悪くなければ謝らなくていい。

こう言い換えると途端に胡散臭くなる。
これを考えている時点で自分には悪党の素質がある。

人間でいる限り、全てにおいて聖人にはなれない。
しかしそれでいい、と自分を許せない瞬間がある。
許さなくて良いのだろうか。悩み続けて良いのだろうか。

何もかも投げ出したくなるこの瞬間を、全ての糸を断ち切りたくなる瞬間を、数多の好意を踏みにじろうとする瞬間を。
それら全てを、誰にでもあるよ、だなんて優しく撫で擦らなくても良いのだろうか。

悪党でいても良いのだろうか。

悪いことをしたら謝る。それは今も変わらずに持ち続けている。

もしこの文章に得体の知れない気味悪さを覚え、掠り傷程度でも傷付いた人がいるのなら謝ろう。
ごめんなさい。

明日の自分が少しは更正していることを願うばかりだ。

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