名乗れない名前
大きなファンダムには往々にして名前が付いている。
ファンが付けた名前もあれば公式が供給してくれる名前も。
私が「ファンネーム」を名乗れない人間だと気付いたのはいつ頃だっただろうか。
今現在私は、彼らが与えてくれた素敵な名前を名乗れないでいる。
思い当たる理由。
ファンネームとは謂わば「主語」だ。
私は私を語るときに「私/俺/僕」「Me」「나」「Moi」など様々な一人称を使い、それを主語として感情や感想や雑多な想いを並べている。
私はこう思ったよ。僕にとって大切なものだ。ets...
どうやら私は一人称とファンネームを混同しているのだ。
私がファンネームを名乗った途端、上記に連ねた一人称の終わりにその名前が追加されてしまうと思い込んでいる。
勘違いも甚だしいのは分かっている。
しかし世の中を見渡した時それがあながち間違いでないことに気が付いてしまった時から。
大きな主語は恐怖のかたまりであると知ってしまった時から。
お前の考えを私に押し付けるな!と叫びたくなる深夜2時に、あるいは悲しみに暮れた朝の9時に。
「○○(ファンネーム)はあなたたちの味方だよ」
そう括られた小さくて可愛らしくて綺麗で正しい言葉を見た時に。
背筋に悪寒が走ってしまった。
私が彼らの味方であることは間違いない。
そればかりは勘違いされては困るので釈明しておく。私は彼らの力になりたいし、出来る限り応援したいと思っている。
では私自身はどうだろう。
私は彼らが思っているファンネームの中身にそぐう人間だろうか。
私の発言を全くの他人が見た時、ファンネームの総意とされかねないことを受け入れられるだろうか。
綺麗な人間だろうか。
信頼されるだろうか。
同じことを、ファンネームを名乗っている人々はどう思っているのだろうか。
そこまで考えて、自分の性格の悪さを思い知るのだ。
彼らがそんな考え方を望んでいないことは流石に分かる。でもこれが私だ。ひねくれていて、責任感がなくて、心配性で、自分を棚に上げながら周りを睨んでしまう人間だ。
補足をしておくと、これらは私の中のほんの一部の面だ。
実際の私は友好的で、多角的視点を持っていて、正義感があって、リスクマネジメントができる素敵な人間だ。
そんなに素敵な(申し訳ないが私は重度のナルシストである)私にですら嫌な一面がある。
それらを抱えたまま、素直にファンネームを名乗ることは、私には到底出来ない。
多分これは大いなる自尊心の塊である私が、あまりにも思い上がった感情に振り回された結果、それらを理性で抑え込もうと頑張った事例の一つである。
自分のちんけなプライドが他人と同義にされることを嫌がって、肩組まないでよ!と暴れる前に何とかしたい心のストッパーが効いているのだ。
誰もそんなこと気にしてないよ、という優し気な言葉では解決できない何かから逃げるために、小さな己を守っているのだ。
人間の構造としては成功しているのではないだろうか。
韓国では「팬(ペン)」という言葉がある。これは「fan(ファン)」と同義語である。
自分は大好きな彼のファンなんだよ、ということを表明するために「〇〇ペン」と自称する。
私は彼らの偉大なるリーダーが大好きだ。愛していると言ってもいい。
しかし例に漏れず「〇〇ペン」と自称することができない。
数回試してみたが、やっぱりだめだった。
私はBTSのことが好きな人間で、キムナムジュンのことが好きな人間だ。
今のところは、それしかないと思っている。
それでいいと思っている。
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