なんでもできないことがわたしをよりわたしらしくする


何かを読んでいたときにふと思った、わたしにとって『成功』とは?

現時点でのそれを言語化してみると、「創造性を発揮して行動(具現化)した先に、いつもいい反応を示してくれるひとがいて、それが次の創造に繋がっていくという循環がある状態」だった。

(ここでの「いい反応」について、単純に賞賛とかいうことではないんです……うまくまとめられなかったのでいまは書かないけど)

これまでの自分なら「年二回個展を開いている」「オンラインギャラリーに登録したそばから作品が完売していく」「月の売上が〇万円」みたいな、はたから見てわかりやすい成功例しか思い浮かばなかったぶん、そこからグッと一歩、自分らしさに近づいた答えが見えてきたことは純粋にうれしいな~と思ったりした。

こうやって、世間一般的に「成功(だったり幸福だったりいろいろ)と呼ばれるもの」から離れて、〈わたしは〉どうしたいんだっけ?どうなったらうれしいんだっけ?という問いをたて、その答えを見つけていく日々は面白い。

最近、ユング心理学が気になっていて図書館で本を借りてきたのだけど、まとまった時間がとれない中で「3行だけでも読むか〜」と開いたら一気に夢中になってしまった。
このところ小説ばかり読んでいたので、それとは違った文体にビシビシと脳が反応していくし、なんかもうしょっぱなから興味深くてそうそう、コレコレ!!って感じだ(語彙力)

ものごとには出会うべきタイミングというものがあるけれど、わたしとユングはまさにいまだったんだな、と思う。

なんでユングなのかというと、たにもとゆきさんとさめじまみおさんのゴールデンライフチャンネルにちょいちょい出てくるからなんですね。
(…っと、ここでYouTubeのリンク貼ろうとしたけれど何度やってもできない。なぜ??)

おふたりの会話がすごく面白くて、片耳イヤホンで家事をしながらラジオのごとく聴きまくっている。
内容のすばらしさもさることながら、おふたり会話からそれぞれの思考のリズムみたいなものが伝わってきて、聴くだけでそれが自然と自分にインストールされる、みたいな感覚がある。あらたな回路ができていくようで、それも体験として面白い。

アーティスト・ウェイのワークは今日で16日目。
本を読んでいるだけだと「マジで毎週課題多くね??できなくね??」ってなるんだけど、自分に完璧を課さずに、それでもできる限り素直に取り組んでみると、そんなに大変でもないなっていう感想。
この他にやっている、去年のWLPで苦手だったワークは15日目。これは以前よりかなり積極的に行えていて、一年前に全然できない~!と頭を悩ませていたのが嘘みたいだ。慣れ親しんだモーニング・ページよりも、こちらのワークのほうが日常に溶け込んできているのも不思議。

苦手なことをできるようになると可能性がひろがり、選択肢がひろがり、わたしはどんどんラクに楽しくなる、と昔は思っていた。

それはある意味間違いではないんだろうけど、「その苦手なことができるようになりたいのはなんで?」っていう根本の部分が自分の本当の願いから離れたままこのやり方をやっていくと、もう信じられないくらい苦しくなる。

わたしの場合は、仕事において。そして周りのためだった。
周りのためにやる、期待に応える、成果を出すことが自分のやりたいことであるとけっこう本気で思っていた。とんでもない嘘だ。

いろんなものが限界にきて、あるとき「もう自分の生きたいようにしよう」と決めた。
この先立ちゆかなくなったら、そのときはそのとき考えよう。
そうすると同時に、自分が苦しくなる考え方や価値観からは、意識的に距離を置くようになったと思う。
妊娠出産のあたりなんて、かなり人間関係も小さくしたしね。(もともと友達が少ないというのはあるけど)

そうやってひとつひとつ、自分なりに自分に合うものを見つけ、それをやってまた考えて…を繰り返している。いまもその途中。
かつて「もうなんか全部ムリっす」と限界がきたころの、感情がまったく深いところで動かない苦しさは完全に抜けて、いよいよ本当に本気でやれるな、という自分になったと思う。
だから苦手だったワークにも、自分なりの気づきを得て時間を置いてまた取り組んでいるのかもしれない。



なんでもできなくたっていいのだ。
できないことから気づくギフトがある、ということは20歳くらいのときには知っていたかったなぁと思うけれど、36歳のわたしがようやく体感としてそれを知ったということが実はこれからの創造性にとても深く個性をもたらすんだよね。きっと。