無駄な自分なんていない

なんと!!
小林賢太郎さんの舞台「うるう」がYouTubeで観れる!!!

わたしはもうずっと小林賢太郎さん(そしてラーメンズ)が好きなんだけど、数年前に彼が表舞台(パフォーマーとしての仕事)を引退してしまったので、こういった舞台を生で観る機会はおそらく永遠にないんです。
子どもが1歳になる直前の仙台公演(「うるう」ではないけれど)、行けばよかったなぁ〜〜と、いまでもひそかに悔やんでいます。

ラーメンズの頃から一貫している、小林さんの「言葉」に対する姿勢や遊びがものすごくツボなの。
うるう、さっそく観ましたが、「もう一ミリでもピンときたひとはぜひ観てくれ」という気持ち。
いますぐにはあーだこーだと書けないので、

とにかく観て!
観たらわかるから!!!
(ラストでぶわっと泣いたひとの雑なおすすめ)



落ちて、浮上して、たぶんいまフラット。そんな2日間を過ごす。
ここ1年くらいで、落ちる→浮上までにかかる時間が昔よりグンと早くなったと思う。確実にモーニング・ページのおかげだ。
もちろん子どもが成長したことや、わたしが自分のやりたいことに少しずつ制限をかけなくなったことや、乳児だったころバチバチにやり合った(うそ、わたしが夫にバチバチしていただけ)夫婦関係がいい感じにアップデートされたこともあると思う。

いろんな要素が絡み合って、年々生きることへの息苦しさは減ってきている。
それでもまだ迷うし悩むし過去にとらわれて落ち込んだりなんてしょっちゅうで、そんな中モーニング・ページはとても自然にわたしに寄り添い、話を聴き、時には励ましてくれる。どんな状態でも伴走してくれる、最高の相棒になりつつある。
それはつまり、自分が自分の最高の味方になっているってこと。

最近、自分の中にいる鬼上司の存在に気がついて、これはこれは厄介なモンが隠れていたな!と思った。
なんで上司なのかというと、責められる内容が「社会人としてこうするのが普通だろ?」というものばかりだからだ。
鬼上司はとても具体的に正当っぽい言葉を使ってくるので、「いやほんとうにその通りですよね…」と押し負けてこれまでその厳しさに気づいていなかったし、自分が傷つけられていることにも気づいていなかった。

モーニング・ページで、その鬼上司(であるところの自分)に寄り添ってみる機会を持ったら、そこには怖い怖い彼(鬼上司は男なのだ、わたしにとって)はいなくて、ただ一生懸命に真っ当に社会の中で生きたかった自分がいた。
怖かったけど、たくさん教えてもらった。
そして反面教師的な意味で、わたしがほんとうに生きたい世界を教えてくれた存在でもあった。

だめな自分も嫌な自分もたくさんいる。
でも、無駄な自分はいないのだ。

ひとつひとつに耳を傾ければ、あらゆる場面で必要な自分であったのだ、と思う。


 
なんだか去年より書類多くね?な就労証明書を、昨日8割方終わらせてちょっとひと安心。
小学校になったらこれ要らないんだよな〜!つまり今回で最後!やったね!