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PEOPLE 1『常夜燈』にどハマりした話

 先日、某所へ旅行に行った際、移動時間が長かったのでずっと車内でSpotifyを聴いていた。それまでPEOPLE 1というアーティスト名を見かけたことはあれどちゃんと聴いたことがなかったのだが、その時にすっかりハマってしまった。
 個人的に『常夜燈』という曲がとても好きだったので、この曲について感じたことをつらつらと書き留めておきたいと思い筆を執った。

 いちいち歌詞のすべてを解説するのも野暮なので省略するが、タイトルにもなっている「常夜燈」というワードについて、ここでは書いていきたいと思う。
 「常夜燈」という言葉は1 番、2番のサビおよびラスサビで登場する。
 いずれも同じフレーズ「例えばこんな胸の常夜燈も」という形で歌われるのだが、1番とそれ以降では「常夜燈」の扱われ方が異なる。

1番のサビを見てみよう。

この世界には未来がキラキラと
みえる人もいるというの
それならば食えぬものなど
置いていかなくちゃ
例えばこんな胸の常夜燈も

PEOPLE 1 「常夜灯」より

 ここでは常夜燈は「食えぬもの(役に立たないもの)」として扱われている。
私はこの部分を聴くととても悲しくなる。
 常夜燈とは一般的に、「夜の間じゅうつけておく灯火。常灯。」(デジタル大辞泉より)とのことだが、「胸の常夜燈」とすると「心を常に明るく照らしている光」と捉えられる。つまり、心の支えになるような存在や希望のようなものということだろう。これは例えば、「小さい頃からの夢」や「自分が一番好きなこと」といった大切なもののことを言っているのではないだろうか。
 1番の歌詞では、この大切なものを「食えぬもの」として「置いてい」こうとしている。これがたまらなく悲しい。

では2番はどうか。

この世界では人をだましたり
モノを盜んではいけないというの
それならば欲しいモノなど君にあげるよ
例えばこんな胸の常夜燈も

PEOPLE 1 「常夜灯」より

 ここでは、「常夜燈」を「君」が「欲しいモノ」とし、君にあげている。
 ところで、PEOPLE 1の楽曲において作詞曲はメンバーのDeu氏という方が担当している。同氏は過去のインタビューの中で、「君」という対象を生み出すことで自分と同じ孤独を抱える人たちに優しくできたと述べている。

 『常夜燈』の曲の歌詞に出てくる「君」もインタビュー内容と同様に、現代で孤独を抱える我々のことを指していると考えられる。
 また、この「君」は我々であると同時に作詞者でもある。

臆病な自尊心に 匿われて目覚めたのは あの頃の僕らだ
いつか大人になるのならば 欲しい物など君にあげるよ
例えばこんな胸の常夜燈も

PEOPLE 1 「常夜灯」より

 ラスサビでは上記のように歌われている。「臆病な自尊心に匿われていたあの頃の僕ら」もいつか大人になる。傷つきたくなくて周囲に壁をつくっていあの頃のDeu氏が大人になって、今度は孤独を抱える若者たちに常夜燈をあげる。これから大人になる君たちには常夜燈が必要だから。(ということだと思うんだけど、違ったらごめんなさい。)

 この1番と2番以降の常夜燈の扱いの違いはMVの振り付けにも現れている。
1番ではMVの人物が胸にあてた手を地面に置く仕草をするのに対し、2番以降では上に突き上げている。

 現代はSNSによって繋がりが可視化される時代だ。そんな時代では、少しの違いがデジタル上で明確な違いとして現れる。「こんなことを考えているのは自分だけではないか」と感じる。それでも、そんな気持ちを抱えている人が他にもいると分かるだけで少しは気が楽になる。そういう意味で、この曲は私たちに優しく寄り添ってくれる曲なのだと思った。

 簡単ではあるが、以上が『常夜燈』の楽曲について私が感じたことである。

 ところで、先ほど引用したインタビューの中でDeu氏は、PEOPLE 1というプロジェクトは好きな音楽というより売れる音楽をやろうとして結成したといった旨の発言をしている。同氏にとってはPEOPLE 1の楽曲は、作りたくないものとも言えるもののようだが、それが大勢に受け入れられた時、同氏の孤独は増すばかりなのではないか。
 まぁそんなこと赤の他人の私に心配されるようなことでもないと思うが……。

 何はともあれ、PEOPLE 1の新曲「銃の部品」のMVが5月1日より絶賛公開中。こちらは打って変わって疾走感のある力強いナンバーでとても良いので、皆、見よう。


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