24歳で個人事業主となるまで(〜19歳)

皆様はじめまして。
京都市伏見区出身、現在箕面市で塾を経営しております宮本と申します。

こちらに初めて投稿させて頂きますが、まずは私のことについてお話しさせて頂こうと思います。

私が小学生3年生の時、両親は離婚し、父は家を出て行きました。
そして中1の夏、母の再婚で実家を離れ、南丹市に引っ越すことになりました。
中学生になり、パソコンを使うようになった私はインターネットという魅力的なツールに心を強く動かされたのを覚えています。
自分の言葉が世界中の人に見られるという不思議で刺激的な感覚に惹かれた私は、いろいろなサイトに興味を持ちました。
クックパッド、YouTube、チャット、ブログetc...
自分のできること全てに挑戦していきました。

学業面では、中1で初めて漢検4級を受け、合格証書を手にした時、認められる喜びを感じ、そこからどんどん級をあげていき、中3で2級を取ることができました。
私はいつしか、
"なんでもできる人になりたい"
と思うようになりました。

しかし、中学を卒業すると、今まで通りに勉強することが難しくなりました。

うちは裕福ではなかったので、高1からバイトして大学資金を貯めなければなりませんでした。

バイト優先の毎日。

初めてのバイトはコンビニでした。
多い時で週に6回、オーナーの要望にNOは言わず、(働くということはこういうものだと思っていました)高校生でありながら大きな責任感を持って働いていました。

テスト期間も3日前までバイトです。
友達と遊ぶ時間などありません。
お客さんの浴衣姿を見て夏を感じ、クリスマスケーキを並べて冬を感じていました。

そして高3の夏、とても遅すぎる大学受験の勉強が始まりました。

バイトは一時休止して、毎日塾へ通いました。
私の志望校は国公立。
無謀だと分かってはいましたが、挑戦するのはタダなので、受かるかもしれないという希望を胸に、勉強に励みました。

私は推薦ではなく、一般入試での受験だったので、調査書は関係なかったですが、生徒会長に立候補しました。
人生の中で、生徒会長になるというイベントは最後だと思ったからです。
人前に出ると緊張して汗が出る私ですが、自分の性格を無視して、生徒会長をやってのけました。

高3秋の模試で日本史Bの点数は一桁と絶望的で、センター試験本番では6割取れたものの、国公立は惨敗でした。

私立も何校か受けましたが、受かったのは1つだけ。

京都外国語大学 日本語学科 です。

偏差値は高くはありませんが、合格の知らせを見た時の喜びは今でもはっきり覚えています。

しかし、大学に入ってからも国公立への想いは冷めず、友達からの遊びの誘いは全て断り、毎日図書室で勉強し、仮面浪人をするようになりました。

しかし、
半年で大学を辞めました。
さらに、
受験勉強もやめました。

"本当にやりたいことはなにか''

私は、自分のやりたいことを見つけたのです。

この後の出来事は次のページでお話ししようと思います。ここまでお読みいただきありがとうございました!

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