8月17日


今日も写真選び。カメラロールにある写真を見返していると、インタビュー記事や、読んでいた本の文章の写真、スクショが目立った。その瞬間の自分が重要だと判断したであろう言葉たち。今見返してもかなりグッとくる。その中から目に止まった言葉を、なんとなくノートに書いた。これがすごく良かった。なんとなくの流れに沿って、ノートに書いていき、自分の思考の流れを視覚的に見やすく残すのはどうだろうかと考える。そこからバイトの時間まで作業をする。
これまで見過ごしてきたものに対する解像度を上げるまでの、足跡。
どういった言葉が背中を押し、ここまで進ませてくれたのか、それらをまとめ、作品とする。
ただ、言葉を書くだけではない。絵も交える。視覚的に、写真的に、言葉を使う。洞窟に、絵を刻んだクロマニヨン人に習い、僕もそうする。
何より、書いていて楽しい。いやまず写真集まとめろ、と先生に怒られそうだが、、。
今日もだが、取り掛かるまで、無駄な時間がかなりある。取り掛かりさえすればやり始めるのだけど。
これは殆どの人が抱える大問題ではないだろうか。
ま、そもそも何もしてこなかった人間が、何かをしている時点で、よくやってるさ。あまり自分に期待するな。基準値を上げるな。そうして気づいたら落ち込んでいるのだから。
してきた事だけに目を向けていく。量を積み上げる。
バイトの時間が近づく。机から離れ、自分の部屋を改めて見てみる。自分の部屋が汚い。片付いていない。この部屋は埃っぽい。姉が戻ってくる前までこの部屋は物置部屋だった。そこから必死に掃除し、ダニよけスプレーを購入し何度も噴射してきた。ダニ埃アレルギーなのでその辺の対策は必死に行う。でも、荷物や謎の資料、本、などが散乱。机の上には本が積み上がる。読みたい本が山ほどあるのに、なかなか読み進まず。だけど、時間はあるはず。携帯の使用時間を見るとそれなりにある。時間の使い方が徹底的に下手くそ。確かに読みたい。興味がある。だけど積み上げられる本。携帯は見る。携帯でニュースを見る。くだらないYahoo!ニュースを見る。Twitterでくだらない議論のような罵倒のようなものを見る。心が疲れる。この繰り返しである。1日で心が落ち着くのは、日記を書くこの時間。心が疲れるのになぜ見るのか、手が勝手に動いてる。恐らく、社会に所属していたい欲のようなものが働いていると思われる。ここから抜け出したい。僕が見ている世界に集中したい。
先日、自閉症の子の部屋を見た。その子は、USJがとにかく大好きで頭の中はUSJの事で一杯。頭の中の世界を、自分の部屋中に段ボールを組み立て、紙に絵を描き形作る。現実世界に落とし込んでいる。その子の部屋を見た時、頭の中を覗いたような感覚がした。その熱量に言葉を失った。

「すごいねそれ」
食事量を記録していた末武さんが手を止めてこちらを見ている。
自閉症って、なんか物凄く重要な気がする。僕らが過剰に獲得している社会性を見直すヒントをくれる気がしている。その感覚を、僕らも持っているはず。子供の時、夢中になった時間。あの感覚の過剰が、自閉症ではないだろうか。
明日の分のお茶を作りながら、そんな事を夢想した。お湯が湧いている。

シングルマザーの末武さん。介護の仕事をして、20年以上のベテランである。
黙々と作業をしながらも、僕の話を聞いてくれたり、お子さんの事を話してくれたりもする。
「そういえばさ、トミさん大丈夫かな」
先日、僕にありがとう、という言葉をかけてくれたトミさん。さっきご家族がきていた。
「バイトの野村さんですか。今日の晩と、明日の朝、息の確認お願いします」
浅いお辞儀だったから、表情がよく見えた。目が優しかった。ただ声は震えていた。
もうすぐその時が来る。
排泄介助時、パット内は多量の便が出ていた。肛門の筋肉の力が入らず、ただ排出され行くだけの状態。手を握るも、握り返すことはない。ただ、か細い息だけが聞こえる。
うっすらと、まぶたの間から、黒い瞳が見える。この人はもうすぐ、死ぬ。いつかは分からないが、この人はもうすぐ、死ぬんだ。

90年以上の人生が終わる。

「まだ、だけどね。」
末武さんが笑顔でこちらを見ている。
そうだ。まだだ。まだ、生きている。生きていることに目を向けよう。生きている時間を見つめよう。今をみよう。居室を出る時、ふと思い出した。初めて会った時の事。今日みたいに排泄介助に入った時、介助を終え、僕の手を握り、大好きと言ってたな。若いから大好きと。なんじゃそりゃと笑ったけど、あれから一年半。ここに勤めて、一年半。8人くらい見送ったっけ。笑って、お話してさ、気がつくといなくなってて、ただ、その人がいた部屋には荷物が残ってて、匂いはまだあって、気がつくと、その部屋には、別の人が入居してて、その人と笑顔で話してる。運ばれて、みんな頭を下げて見送って、はい、仕事に戻ります。
死者を弔うとか、墓参りとか、そんな文化にあまり慣れ親しんでこなかった自分としては、仕事に戻れる。
仕事に戻れるけど、ふと、考える。あの人の顔が浮かぶ時、どうしてだろう。ありがとう、という言葉以外見つからないのだ。伝えたい。伝えたい言葉がある。どうしてそんなに優しくしてくれたんですか。
聞いても良いですか。雑に対応してしまったこともありました。ムカつくって思ったこともありました。そんな僕にも笑顔を見せてくれた理由は一体なぜですか。悲しくはない。自然と涙が溢れては、戻り、冷静になる。ここはそういう場所だから。家族ではない。他人。老人ホーム。人が一生を終える場所。
あの人がいた、荷物だけが残る部屋の扉、丁度そこに僕はいる気がする。

おやすみトミさん。僕は固いソファーに横になり、仮眠をとった。

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