1月25日

今日は朝から最高の目覚めだった。カーテンが開きっぱなしで窓から日差しが入りこみ、頭の上に乗っかったから。すんごい気持ちがよかった。目挟めるは気持ちはいいわでいいこと尽くし。これは続けたい。陽が落ちる直前くらいの日差しは大嫌いだけど、午前中の日の光はくすりだな。
久しぶりに、落ち着いて朝飯を準備。なんだかんだで、朝はいつもバタついている。ゆっくりと準備する朝ご飯最高じゃないか。当たり前のことを、思い出すわけだけど、こうして行動しんと思い出せない。やるだけなのに、そこまでが遠い。今回またたどり着いた訳なので継続したいね。
気分がいいけど、良すぎるのも危険。夜、電話している時饒舌な語り口調で、話し終えた後疲れがどっときた。調子に乗った状態で話すと、俺はこんなにすごいんだぜ、と言いたくて、語りたくて仕方がない病が発症してしまう。それで、終わった後に、全く凄くない自分と再会してどーんと落ち込む。先ほどまでの自分の振る舞いに激しく嫌悪感を抱く。頭が痛い。調子に乗って話すと、息を吸うのを少し忘れている。酒飲んでないのに酔っ払っている感じ。疲れた。何度目の後悔だろう。またこれからもするんだろうな。
最近、余暇支援を始めた。障害がある人の日常生活のサポート、一緒に遊びに行ったり、送迎したり。その中でも知的障害の人が対象。初日から学びが多い。一番印象に残っているのは、障害者を見る健常者の目線が怖く感じたこと。珍しいものを見るかのような目線。自分のことを見ている訳ではないが、利用者さんの横にいる分、その目線を受け取る。その受け取った目線を、怖いと感じている。私は怖いと感じているが、利用者さんはどうだろうか。なぜ僕は怖いと感じているのか、恥ずかしいからか、なら、恥ずかしいと思うこと自体が何か間違ってないか、とか色々と考えが巡っていった。
利用者さんにとっては、自分らしく生きているだけで、その態度をサポートする私が、恥ずかしいと感じる要因としているのは意味が不明なはず。堂々と、ただやっちゃあかん、怖がらせたらあかん、みたいな最低限のラインからはみ出さないようにする役割が大事だろう。そこが抜け落ちている。
元気に堂々と、世間と触れる。ビビってんなよ自分。分からなさに自分の体を埋め込めんでいけ。続けていけ。

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