2月11日

日記をかき始め早々、じゅういちにちと打ったら☆日と出てくることを知る。

朝から夕方過ぎまでバイト。地下駐車場で車の誘導。ただお客が全く来ない。ただぼーっと立ち続ける時間が経過していく。
地下駐車に合計6時間くらいはいたと思う。仕事もほとんど無い状態で6時間。とにかく暇ではあるが、暇な時間も、暇という状態を超えると駐車場という空間に興味を持ち始める。地下駐車場という場所はよく見ると不思議で、体感で感じる空間の広さと視覚的に捉える広さは少し誤差があった。視覚的に捉えるよりも体感ではなぜか広く感じた。目で距離感を捉える、車が停まっている、あの車の大きさからすると、大体このくらいの距離だ、と頭の中ではイメージがつく。しかし、体感ではそれ以上の広がり。その差異が不思議だった。なので実際の距離を確かめるべく、だだっ広い地下駐車場内をとにかく歩き回った。
すると頭の中でとあるイメージが浮かんでくる。何かのワンシーン。もっと歩く、徐々にイメージが鮮明に立ち上がってきた。そのイメージは、シーンだった。とある映画のワンシーン。
去年の8月ごろ、愛知芸術文化センターで観たショートフィルム、その映画のシーン。
あのシーンでは地下駐車場ではなく、陸上競技場内の室内練習施設だったけれど、被るものがあった。
ただっぴろい空間で、ひと気がなく、僕1人だけがこの場所にいる。
僕が体感で知覚していたのは、cmセンチメートルという世界での空間ではなく、記憶という空間の存在だった。

それまで、僕は頭の中で考え事ばかりしていた。この場所に興味を持つ前のこと。暇だなーっと思っていたときのこと。考え事をしているときの頭の中は、常に誰かや、何かに対して批判的な言葉で充満していた。妄想の中で、彼らをとにかく批判する。そして、その批判する自分は今ここにいて、地下駐車場でぼーっと立っている。その自体に耐えきれず、とにかくコンクリートの地面を踏みまくった。どうして気がついたら、誰かを批判しているのか。自分を変えることよりも、誰かの方が気になる。
誰か、それは僕の中での理想のようなもの。嫉妬心から批判している。それは分かっている。なのに気がつけばそうしている。そうしている自分にも腹が立つ。とにかくコンクリートの地面を踏む。その繰り返し。
そこから気がつけば、脱していた。場所に興味を持ち始めてからだ。私の頭の中から抜け出て目の前の世界と溶け合う。そして確かめ動き体感する。それが批判的態度から、妄想世界から少し自分を乖離させ、適切な距離置き自分の心を落ち着かせてくれた。

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