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これまで自分は相手と付き合うとき、彼女として見ていた。そこには、いつか別れるだろう、という前提があった。
だから楽しい今を謳歌しよう。楽しみたかった。楽しい方が良いに決まっている。でもどこか満たされなさを感じていた。
楽しそうな友人カップル。周りからすると憧れすら感じるだろう二人。男の方はセフレがいる。女の方はその事実を知らない。
互いの性欲だけを満たす関係性、意味わからん。終わりが来る関係性に興味が無い。いや、ある。かもしれない。でも分かったのは、それをしても全く満たされないし、いつか終わりがきて、終わりが来た瞬間、死にたくなるってことだ。
薬物と同じで切れたら終わり。だからもうそんなことしてはいけない。自分の心を壊すだけ。自分をちゃんと大事にする。学びです。様々な人から、取材先の老夫婦、家族、もえみ、思われることはない。もう相手から僕は見放されていると思う。相手からは別に関係ないから。お前、知らねえよ、みたいな。だけど、僕はなんか勘違い野郎ですので、なんか勝手に家族の一員のつもりで過ごしてます。それが自分を救うことだと気づいたし、自分の特性である、あの家の明かり、みて、あそこに俺行ってみたい。と突然言い出す僕は、つまり、自分の家から、幼い頃より抜け出したくて、鏡に映る世界に憧れ、嫉妬し、何時間も見つめて続けていた、あの感性で、今生きており、それで、家族の様に接してもらった時に僕は愛を感じる、満たされるのだ。
涙が止まらないのだ。幸せじゃん。でも、辛い。同時に恐ろしく一人だからだ。それらはやはり妄想の家族、だから。まだ輪郭もままならないもの。てか気持ち悪い。だからここだけ。
あの家入りたいって言ったら、あの人は、おじいちゃんになったら不安だからずっと離さないと言ってくれた。その時心から嬉しかった。自分の考えを聞いてくれたこと、ではなく、ずっと離さずにいると言ってくれたこが、心から嬉しかった。その時、満たされたのだ。

だから僕も、大事な人の最後まで一緒にいたい。絶対に俺は側にある。どんなに一人になっても、全身が動かなくなっても、寝たきりになっても俺は必ず側にいる。
介護の資格持ってるし!だから自分は今こうして実際しているのかもしれない。
みんなを絶対に看取る。独りにしない。と、言うだけでも孤独ではないよね。僕は満たされた。その経験を、この世界で、この時代で、自分の損得ばかり考えて、今この瞬間の心地よさを求めがちな時代において、この経験を出来たこと、気づけたことは本当に幸せものなんだと思う。だから、恐ろしく辛く苦しいきもちになり、希死念慮に襲われても、僕は今も生きているのだと思う。
だからこれからも多分生きる。死なないんだと思う。
普通に幸せに心地よく、風を感じ生きていきたい。


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