1月25日
助けて!
って今から大きな声で言えるか。
窓開けて、外に向かって大きな声で言えるか。
多分言えない。心の中で思っているのに。布団の中で思っているのに。
たすけてと思い続けてはいる。辛くてしかたなのない状態が続いてはいる。だけど辛いと口に出しては言えていない。
当事者は、この事実に気づけていない。
たまに電話をかけてくれる、知り合いのシングルマザーは、電話をするだけで救われるとすらいう。大袈裟だとはもちろん思う。でも、大袈裟なことが起きている。
僕らは言葉を、発話を、失っている。
助けてください!というとき、それは本音とほぼ同じ質感。本音の中に私がいる。
人前で無意識に笑顔になってる私ではない。相手がいる中での私ではない。うちから溢れでる私がそこにいる。
その私を出す時間をどうにか作れないか。そんな作品はできないだろうか。ぼくは今、写真でそれを試みる。それがバイト先の老人ホームを撮影した「home」
本音という私のあり方にたどり着くための、装置。
何書いてるのか、また分からないが、大切なことを書いている気がする。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?