3月23日

今日は家で一日中携帯を眺めて、YouTubeshortを見続けていた。いま振り返ると、なにもやることが無い、つまらない、風呂入ってない、怠惰な時間の連続がそうさせていたのだと思う。つまらないと、動画を見て、目が疲れて時間をみると、過ぎ去った時間の量に虚しくなり、焦りが巻き起こる。それでまた簡単に情報を得ようと動画を見て、関連動画で娯楽的な動画へいつの間にか移行している。重々しい空気が経ち籠る。リビングから祖母の声がする。
「おーい、だれもいないんか」
今日は家で祖母と二人留守番をしている。母が背中を痛め整体へ行くことに。そのため午前中だけ家にいてと頼まれた。おばあちゃんをひとりにさせないでね、とも。
家のなかで、祖母と二人。しかし私は自分の部屋に籠り、動画を見続けていた。リビングには祖母。祖母は繰り返し同じ雑誌を読んでいる。だから大丈夫。そう判断していた。テレビもついているし。
祖母をひとりにさせないで。
祖母の声が聞こえてリビングへむかった。
「ここにおるよ」
「あ、おったんか」
僕の顔を見て祖母は笑顔を見せた。鼻の穴からツンと刺激するものがある。涙がでる前のあの感覚に近いもの。視界がぼやっと暗い。動画の見過ぎだろうか。動画をみているときは感じなかったのに、祖母に出会い、何かが変化した。現実味がない。目の前に祖母がいる。この事実が不思議でたまらくなった。まるで夢の中にいるかのような。夢の中で祖母を見ているきがした。祖母はもういない、あの祖母がいま目の前にいる。そんな気がした。
おばあちゃんをひとりにさせないで。

独りぼっち。家のなかで、二人でいたはずなのに、僕は独りになっていた。
アイディアが浮かんでくる。それを形するすべをしらない。調べようともしない。ただ誰かに言いたいだけ。本気じゃない。少しすごいねって褒めてほらえればそれで充分なの程度のもので、なんか作るとかじゃないんだとね、と努力をしない術なら知っている模様。動画を見る見続ける。雨が降ることだけは何となく分かっていた。空が曇る。洗濯物は生乾き。

おばあちゃんをひとりにさせないで。
僕は自分勝手に自己中心的に快楽に任せて動画を見続け祖母をほったらかしにしておいて、僕は独りぼっちになっていた。
祖母は家族を探していた。誰かおらんか、と呼んでいた。独りぼっちってなんだろう。僕はあとあと、虚しさのようなものを感じ、独りを感じた。一人でもない。から、空洞。なにもない。虚無感。
祖母はひとり、誰かを常に感じていた。ひとりで過ごしていながらも、つねに誰かをさがしていた。

何を書きたいのかわかない。誰かおらんか、と常にだれかを感じ過ごしている、その状態の祖母に触れる。
僕はちょっと鬱気味だった。ひとりの世界に籠る。近くの誰かの存在を忘れ、動画の中の誰かと自分を見続けていた。つまり、現実から離れていた。目の前の生活、という、現実から僕は消えていた。
祖母は常にそこにいる。その場所から声を発する。
「おーい。だれもいないんか」
ぼくはその声を頼りに、生活の場へ戻ってきた。祖母に触れたとたん、夢のような感覚が消えた。僕はほっとした。曇った視界から涙がこぼれる。ひとりぼっちにさせてごめんね。家の中で二人、ひとりぼっちになった二人が再開した。

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