あとがき2

みなさん、こんにちは。名古屋文理大学映像メディア学科4年、野村隆也です。映像学科ではありますが、映像編集機材などは触れてこず、それよりも頭の中にある映像(イメージ)をいかにして編集するか、を考え制作をしてきました。
イメージとはつまり、僕の言葉で言うと、思い込みや先入観というものです。
思い込みが強い僕は、人付き合いが苦手です。自分では良い行いだと思ったことが、相手に異なる受け取り方をされ、距離を置かれ辛い思いをした経験が何度もあります。自分では良い行いだと思い込んでいるため原因が分かりません。洗脳されている人が自らの状態に気づくことが困難な様に。だから繰り返してしまう。
言語化できない漠然とした悩みだけが募りました。その状態を映像化したものが、前回のぶんり卒展(2022年2月)に出した『境界線』自分と他者を無意識で区別し、比較し苦しむ男の作品です。
 この制作の過程で僕は、自分の頭の中では映画館のようなものがあり、眼前のありふれた場面を、都合よく編集し劇的にする癖があることに気づきます。
そして、人はイメージというスクリーンを通して物事を見ていることにも気づきます。
自分の頭で起きているイメージと相手が思い描くイメージのズレがあり、ズレ具合が大きいほど上手く馴染めない。
このズレを見直すために、自分の頭の中にあるイメージの要素を調査、つまり自らの無意識を意識化することを始めました。最初は自分の過去、家族。そして住まいである県営稲沢駅前住宅へと関心が広がっていったのです。
 今回卒業制作として、県営稲沢駅前住宅についての写真集『Public』を制作しました。個人空間と公共空間の区分けの曖昧さに着目して編集作業をし、この住宅の、人や文化、それらが作る空気感に焦点を当てた作品です。住人が無意識的に作り出したものを意識化し新しいイメージを生み出す(編集)。現実の多面性、複層性を伝えること目的としています。
 小学生時代、埼玉県上尾市の8階建てマンションの2階に住んでいた僕は、2階以外のフロア、3階以上に興味を持っていました。同じような佇まいの玄関であるにも関わらず、フロアごとに差異を感じる。この面白さをどうにかみんなにも共有できないか、と考えていました。そこから生まれた遊びが、全てのフロアを使った鬼ごっこです。大人にこっぴどく怒られました。ですが、こっぴどく怒られるほど、僕たちの中で大いに流行したんです。
いつもの光景も見方を変えれば、楽しさや豊かさが含まれる場所になる。それは多面的な現実の一部で、僕らのすぐそばにその可能性は潜んでいる。
 父に殴られる母の悲鳴が耳を塞ぎながらも聞こえてくる。物置部屋に隠れ、壁の端の溜まった埃をじっと見つめ泣いていた幼少期。ただ、その状況下でも玄関の外では鬼ごっこという豊かさがあるわけです。どちらも同時に存在している。
その当たり前の事実をこれからも作品を通じて伝えていきます。

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