8月13日

この1年間に撮影してきた写真、スマホの写真フォルダをスクリーンショットも含め全て見直す。
古いものから見ていく。
過去にスクショしたインタビュー記事や、誰かの文章を見て、その時自分が考えていたことや、求めていた言葉を思い出した。
そして、それは、今、求めている言葉達でもあった。
「身を投じるものを変化させてしまうような行為としての思考、それが哲学。
私達は確かに外的対象を知覚することには成功しているのだが、必ずしも対象が現にある通りには知覚していない場合がある。
言い換えればイメージは知覚される限りにおいて現実に存在するのであり、私達はその存在を絶対的に知っているのであるがその存在のあり方までも十分に知りうるわではない。」
そのことを受け入れた上で写真を撮る。映像を作る。他者と接する。自己と接する。
分からないことがある。でも、見えるものもある。だから僕たちは話し合う必要がある。
そして、対話とは何か、話すとは、声とは、言葉とは、音とは、そういうところに、今につながっている。
たまに自分が何を得たいのか、分からなくなるが、こうして過去の思考の粒を見返すと、今を進めるのだと実感する。
写真と文章が混じったカメラロールを見る。
かなりの量があり、今日1日では全て見返す事はできないが、この作業は大事。で、この作業のヒントとなったのは、写真家一之瀬ちひろさんの、写真集の作り方を聞いて、それを参考にしている。
あの時話を聞けたのは本当に無駄じゃなかったし、無駄にしないようにこれから作っていかなければ。
すぐに口だけ達者になる自分よ。ゆっくりでいい。ゆっくり、早く、焦らず、見ろよ。
午後からは、老人ホームでバイト。施設でのコロナ患者は皆完治し、一息ついた。現場は安堵。本当に怒涛の1ヶ月だった。ただ、予断は禁物。正直、またいつ感染爆発するか分からない。
この1ヶ月間、こうした方がいいのではないか、とニュースを見ては口々に言葉にするも、変わらない現実。ただ僕達は今日起きていることに対して、今日できることを、やるしかない。無常感の中、雰囲気を盛り上げようと、笑顔を絶やさない社員さん。みんなが限界だった。
映画では、危機が去り、みんなが笑顔で、平和が訪れるけど、現実はしっかりそばには絶望がある。
その事を伝えていけないだろうか、と考えながら、自分の無力さに、口だけ人間野村隆也に、やや絶望しながら、絶望するほど自分のこと過大評価してるんですねと、ちゃんと頭を叩きながら、何もできない事を自覚し、たまにエッチとかしたいなーとか考えながら、とりあえず、笑顔で生きていこう。

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