見えない流れ。

美智子さんの手をとり僕は踊った。美智子さんは車椅子に座っている。にも関わらず僕たちは手をとり合い踊っている。確かにこの場所で踊っている。深夜の老人ホーム。流れ出す音楽が僕たち二人を導いてくれる。花びらが舞う。流れがある。右へ、左へステップを刻む。美智子さんは目が見えない。だけどこちらを見て微笑んでいる。僕の手を強く握りしめ、右へ、左へ。
暗い廊下を二人、このまま踊りどこまでも流れて行きたい。何かの輪郭を感じる。それが何かは分からないけれど、何かの輪郭がある。僕はその輪郭の中に溶け込み、僕の体は流れの一部になった。

休憩室で音楽を聴き何かを考える訳でもなくただ僕は時間を過ごしていた。そこに、徘徊してきたであろう美智子さんが車椅子に乗り入ってきた。休憩中だとしても、利用者さんを居室に戻さなくてはいけない。時間は23時を回っていた。
今日の僕は利用者さんに対し、多少の事で苛立ちを覚えてしまう状態だった。何を言っても相手は、耳が遠く、認知症で理解することが難しい。そんな諸事情、僕は理解している。だが、ムカついてしまう。ストレスが溜まってしまう。普段ならこんな事、あまりないのだが、今日は一段と腹が立つ。仕事を終えると、この体全身を蠢くドロドロしたものを取り払いたくて、僕は音楽を流した。

休憩室に入ってきた美智子さんは真っ直ぐに僕の方にきた。椅子に座っていた僕の元へ真っ直ぐに。そして僕の手をの握り、「今何時?」と呟いた。
僕は、なぜだか涙が溢れた。
美智子さんの手を握り、ゆっくりと、一緒に休憩室を出た。

疲れていた。心が僕は疲れる。つかれたくない。何も知りたくない。早く楽になりたい。

僕の心の疲れが溶けていく、流れと共に去っていく。美智子さんありがとう。美智子さんは笑顔のまま僕を見ていてくれる。手を握ってくれている。車椅子に座っている。

ベットに付いた。「寝ていい?」美智子さんは横になる。
「ありがとう」居室を出る前に声をかけてくれた。

こちらこそ。おやすみなさい。

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