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「面倒くさい」という行動指針

僕が今の洗車スタイルに至るには、

方法論としての原型は色々と学んできたものの
「なぜそうすべきなのか?」
という本質の部分は全て自分で踏み固めてきました。

すでに似て非なるものと化すまで魔改造しています。

当初は、

・何を見れば良いのか分からない、
・どう判断すれば良いのか分からない、
・どう行動に繋げれば良いのか分からない、
・何を意識すれば良いのか分からない、
・どう考えれば良いのか分からない、
・仕上がりの見分けが付かない、
・本質を教えてくれる人がいない、
・調べようにも調べ方が分からない、
・何を目指したいのかも分からない、
・自分のとった行動の意味が分からない、

とにかく何が分からないのかが分からない、こんな状態でした。

やると決めた以上、何も分からなくても仮説を立てて行動してみる。
やってから考える。

その時に
「うわっなにこれ。超メンドクサイ。やってられない。」とか
「前回と同じあの苦労をまたするのか。ヤダなぁ。。。」
と感じ取ったら
何か間違えたことをしているのではないかと疑います。

この改善の余地を発見することを
僕は「メンドクセンサー」と呼んでいます。

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洗車では、面倒くさいと言ってはいけないみたいな風潮があるように思います。

・面倒くさいとは何事だ!
・面倒くさいなんて思うなら辞めてしまえ!
・クルマに対して失礼!
・クルマが可哀そう
・だらしがない、どうしょうもない奴だ!
・根性が足りない

面倒くさいなんて言葉を発しようものなら、
即座にこのような批判にさらされかねません。

いくら好きなことであっても面倒くさいと思ってしまうことは事実なので、それを正直に言えないことの方が異常に思います。

「だってしょうがないじゃん、そう思っちゃうんだから。」
ということです。

「面倒くさい」に対してどう向き合い対処するか、
ということに僕は焦点を当てています。

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洗車が嫌になった経験がある方は「面倒になってしまった」ということが一番の原因として思い当たるのではないでしょうか。

僕は根性論肯定派ですが、「面倒くさい」をはじめとしたネガティブな感情をねじ伏せることに根性論を使うのは賛成できません。

根性論は、こじらせると単なる野暮になります。

人に押し付けるものではなく、
人を評価するものでもなく、
自らの価値観の元、定めた目的のために、自らに課すものです。
僕はそう思います。

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洗車の本当の目的とは、究極的には「人間が満足するため」です。

ほとんどの方は美観維持という輝かしいポジティブさばかりに目が向きがちですが、やるのはあくまでネガティブな感情も併せ持った人間です。

仕上がりは維持した上で、どこまで手を抜けるのか。


この陰と陽のバランスなくして美観維持は成り立たちません。
それを多くの経験という名の屍(しかばね)から僕は学びました。

楽しいことは楽しいと思える範囲で楽しむこと、それが健全です。

ご覧いただきありがとうございました。サポートしてくれた方のメッセージ読ませてもらっています。洗車のプロである僕が「何を見ていて」「それをどう判断し」「行動に移すのか」、YOUTUBE動画では解説し切れない頭の中のことをアウトプットすることで皆さんの参考になればウレシイです。