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人の最期

こんにちは。おけちゃんです。

かなり久しぶりに書きますが、先日残念なことがありました。朝の8時位にとあるグループLINEの通知がなり、『訃報 〇〇さんが容体急変し亡くなられました』と書いてありました。自分としては、○○さんとは仕事上で関係があり、大変お世話になっている人物にあたります。

そんな○○さん。5月の中旬にコロナに感染し闘病中でした。PCR陽性の翌日に緊急搬送され、集中治療に入り闘病中でした。その後も容体が改善することが難しく他界されました。

生前は大変お世話になったのは間違いないが、仕事上衝突することも多々ありました。ですが、自分と年齢が一回り以上離れているのに、彼の人としてのキャラクターが明るく楽天的であったため、年齢差無くプライベートでゴルフを楽しんだりもできる間柄ではありました。

言いたいことは大きく一つ。

あまりにも"死"が唐突ではないですか?

搬送される前日にバーベキューの話を電話で話したことが最後でした。「バーベキューできるようになったら開催してよ?行くから(笑)」っていう他愛もない会話の翌日に、PCR陽性と聞きました。それからはECMOでの治療になったらしく、会話はもちろん意識も朦朧としてたためSNSでのやり取りもなく、容体が分からないまま他界されました。

葬儀を執り行うことなく、『お別れ会』として執り行うことになり伺ってきました。自分が一つ気になっていたことは、緊急搬送されてから意識がもうろうとしたまま自身の人生を振り返ることなく他界されたのであれば残念だと感じていたのですが、実際に親族からお話をお聞きすると、『ここ最近はリハビリを頑張っていて、転院の計画まであったのに、最期はあまりにも急でしたが…』

リハビリを頑張る姿が動画で残っていました。

呼吸器をつけているので声を発することはできないが、マイクを近づけ声を出す練習だとか、身体を動かす練習に励む姿が動画に映っていました。

自分としては少し安心しました。

てっきり、意識がないままで最期を迎えられたと思っていましたが、しっかりと意識ある中で自身の人生について振り返る時間はあったのだと確信できたので、せめてもの救いではなかったかと安堵しました。しかしながら、あまりにも唐突な死であることには変わりありません。

改めて身近で感じる事により、自分にとっても”死”があるから、今日の”生”があるのだと実感。今を生きる事がどれほど大事なのか、大きく感じた日でした。

今、これより先の誰にとっても未来は抗えないリアルです。

今のこの瞬間を大切に、自分の人生を一生懸命に生きる事。ただそれだけなのかな?と感じました。

追悼

生前は大変お世話になりました。

もう、この言葉は届かないですが、ほんとにありがとうございました。

仕事上で衝突する事はありましたが、あなたの”人間味”あふれる性格は嫌いではなく、むしろ好きでした。世に沢山の世代、人種で人間がいる中で巡り会ったのは良かったです。

どうか安らかにお眠りくださいませ。




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