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アーケード版アイマスに興味をもったときのこととかロケテストのころの思い出などをつらつらと

アイドルマスター15周年ですね。もう10周年から5年も経過しているというのも信じられないぐらいあっという間です。

自分の場合はアーケード版ロケテストからなので、本当は15年半…ということを言うのは野暮ですけど(笑)、気が付けばあっという間で。アイマスの記事をちゃんと書くようになったのは東京ゲームショウ2008からなので、これも10年以上になってました。現存している記事は2013年以降で、今は大型のイベントと1キャラクターにスポットを当てた記事を年に数回やるぐらいですけど…。

そもそもロケテのころは書籍編集の仕事はしていたけど、正式稼働前からしばらくは、ほぼ無職だったり、職場を転々としたり…という状態でもありました。それがウェブメディアで記事を書くようになって、そしてこのような形で記事を書くようになって、さらにサイトも変わっていながらも、続けて10年以上も書いているとも思ってなかったですし。

こういう節目でもないと振り返る機会もないですし、自分を知っている方は、おそらくミリオンやシンデレラが本格展開してからで、木下ひなたとか龍崎薫がお気に入りというところで知ってくださった方が多いかなと。とはいえ、直接的な関係者でもない、ただのおっさんの昔話に興味を持つ方は数人いらっしゃればいいほうかと思いますけど(苦笑)、つらつらと書いておきます。

ちなみに、このタイミングで公式的にアーケード版の開発秘話のインタビューがでましたけど、ロケテ時にお会いしたことのある本当に懐かしい方々も出られてて…すごく懐かしかったです。

アイドルマスターに興味を持ったきっかけと経緯

もともとゲーム全般が好きで、家庭用もそうですけど、よくゲームセンターに行ってはアーケードゲームもプレイしていました(※当時はスマートフォンはなく、フィーチャーフォンが主流の時代でした)。アーケード版アイマスの前後は、セガの「アヴァロンの鍵」にお熱で。関連書籍を手掛けるぐらいでした。

あと、リライタブルステージ筺体のシリーズ第1弾の「ドラゴンクロニクル」もそのころ稼働していて、アヴァロンのプレイ待ちとかで少し遊んでいました(※アイマスはシリーズ第2弾)。

それでアイドルマスターが発表されたとき、話題にはなっていたんですね。当時のアーケードゲームで、アニメルックな女の子キャラを前面に押し出したのは珍しかったこともあって。しかもナムコが…で。アーケードゲームの女性キャラクターは、対戦格闘に代表される、戦う女性の文脈が強くあって。アヴァロンとか、あとクイズマジックアカデミーが出ていたけど、キャラクター要素が強かったものはそれぐらいかなと。実際、自分の観測範囲ではありますが、アヴァロンやQMAのプレイヤーが、相応にアイマスでもプレイしていたと思います。

ゲームセンターでこういうゲームは恥ずかしいという意見もありましたけど、自分周りでは少なかったかな…。自分もときめきメモリアルとか愛好していましたから、全然抵抗はなく…(笑)。いつどのタイミングで知ったかは覚えてないですけど、すくなくともロケテのだいぶ前、公式サイトが立ち上がる前にアンケート募集のためのプレサイトが一時的に立ち上がって、アクセサリーとかの意見を求めていた……のかな?それに回答してPC壁紙をもらったということは覚えています。

あと書籍編集の仕事をしていると書きましたけど、熱心なファンが付きそうということは想定されたので、関連書籍とか作れないかなという、仕事目線での興味も少しはありました。それはそれで別のめぐりあわせがあったというエピソードもあります。

ロケテストの思い出

ちょっと懐かしいものを発掘したので載せておきます。ロケテ告知のポストカードとかリーフレットとか…。アーケード版プロデューサーの小山さんっぽいK氏とか(笑)。あとロケテで引き換えることができたイヤホンとか…(※千雪さんのアクリルキーホルダーをあわせて載せているのは、写真が拾い物ではなく、今でもちゃんと持っているという意味だと思っていただけたら)。

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ロケテストは、2004年12月と2015年1月と6月の3回行われました。一応1回の初日には行ってプレイしたのですけど、ただ1回目のときはそこまでプレイが進められなくて。ちゃんとプレイしだしたのは2回目からだったはず。

当時の記憶があやふやなところもあるのですけど、何が魅力に感じたかというと、スタッフの方とプレイヤーとの距離感が近かった、というのは間違いなく言えることかと。アーケードゲームのロケテストは(当時の自分が見た範囲のなかでは)、基本的に筐体を置いて、スタッフの方が遠巻きに見ているというような光景が多かったのですけど、アイマスの場合は、序盤とか説明な部分も多いところから、開発スタッフが自らアテンドとガイドをしていたのですね。それが珍しくうつったのはあります。

それとあとはゲーセンノートというか、ロケテ用のご意見ノートが置いてあって、それもだいたい置きっぱなしのことも多いのですけど、スタッフの方が合間を見てかなり細かくお返事をしていただいたのです。特にお返事していたのは、アソビモットのインタビューに出ているディレ3さんこと深見さんだったように記憶しています。スタッフの方もフレンドリーに接してくれていて。こういったところでコミュニティの輪ができやすくなっていたとは思います。

自分が、ほかのロケテのプレイヤーで話せるようになったのは……いつから誰からというのは覚えてないけど、3回目や本稼働以降は、プラボ中野(現在はナムコ中野)に行っては、夜は近くの「宇奈とと」中野店の2階でうな重を食べつつ延々と話をしていました(笑)。それでだいぶコミュニケーションをとれたのが大きかったかな……と。

ゲーム的なところでは、ロケテ時点では雪歩がお気に入りだったので、基本的に雪歩でプレイしていて。やはりまっさらな状態ではランクアップが難しいというなかでも、ランクアップが難しくても、せめてここまでは……みたいな、不思議とあきらめたくないという気持ちにさせられるものはあったのは記憶してますし、CPU相手でも、ランクアップリミットの瀬戸際でオーディションでなんとか勝ったときは、おお良かった…と声が出たくらいなので、知らずに熱中できる素地を感じていたように思います。

数字を出せる人間ではなかったですけど、わりとほかの人たちはいい感じで切磋琢磨していてランクや数字を競っていて、周囲を巻き込むぐらい、オーディションの結果に一喜一憂していたのも記憶しています。仕様面とかはそこまでやりこんでないですし、当時スコアを出していた方はTwitterとかにいらっしゃるので、いつか話してくれることを願いつつ……w。

ほか……ロケテネタでわかりやすい話なら、アセロラサワー改名事件とか…。ロケテでハイスコアを出した「巨乳サワーP」が、公式サイトに掲載されたランキング表で「アセロラサワーP」に勝手に改名して掲載されたこととかは、今でも語り継がれるネタですね……(笑)。

あと声優の方もいらっしゃってたというのは、わりと有名は話ですし、アーケード版公式サイトにあるロケテリポートにも書かれてます。自分は3回目のときにプレイしていたら「あ、雪歩ちゃんだ。雪歩ちゃんかわいいですよね」と声がして振り向いたら、スタッフのひととともに女性の方が立ってて。そのままどこかに行ってしまったのですが、あとで聞いてみると〇〇さん(雪歩役ではない別の方。3回目のときは公にしていいかわからないので、念のため伏せますが…)だったとかはありました。声優の方がいらっしゃっても、いたって平和というか、ロケテの光景を見てすごく喜んでいましたし、一緒に盛り上げようとしている雰囲気はすごく伝わってきました。

ほかにも記憶があやふやなところはじっくり思い返したり、当時の人たち話をすれば思い出すかもですが、とりあえずこのあたりで…。なんというか、ゲーム的なところ以上に、集まっている人が面白かった、それで遊んでいたというのは多分にあると思います。当時知り合った方も道はそれぞれで、今どうしているかわからない方もいれば、ゲーム開発に入った方もいますし……。知人がいつの間にかTrySailのライブに行くようになっていたとかもある(笑)。一度離れつつもまた戻ってきたなど、程度に差はあるし興味の方向も人それぞれだけど、今でもアイマスを愛好している方が多いというのは言えるかな…。なんだかんだと今でも続いていると思います。

アーケード版プロデューサーの小山順一朗さんのこと

アーケード版ならびにロケテの思い出を語るうえで、プロデューサーである小山順一朗さんのことも外せないところがあります。今はVR ZONEやMAZARIAなどのロケーションVR施設のコヤ所長として表に立つことが多くなっていますが…。ながくアーケードゲームにかかわられて、戦場の絆や湾岸ミッドナイトを手掛けられたことでも知られています。

ロケテストでもお姿は見かけていたのですが、初めてちゃんとお話をさせていただいたのが、お仕事的なところで、確かロケテのどこかの間に、営業的な業者向けの商談会(内覧会というか体験会)があって。前述したように、当時のあるナムコの方に、アイマスに興味があるというお話をしていたので、それでお声がけいただいて。その場でお会いしたのです。ちなみに、いかにも初心者な感じで最初からプレイしていたのですけど、とある理由から、プレイヤーネームでスタッフの方が気付かれたっぽいことは覚えてる(笑)。

小山さんは、ユーザーがどういうものを求めているのかとか、こういうことをやろうとしているけどどう思うとか、逆に取材されているような気分になるぐらいの質問されたのは覚えてますし、自分もこういうのがあるといいというお話もしました。

あと……初対面にもかかわらず、結構踏み込んだところまで開発の事情や状況などもお話してくださったことも覚えてます。

あとこれもよく覚えているのですが、話は前後しますけどロケテのとき、小山さんが体験した方に積極的に話しかけて、それをメモ帳に細かくメモしていたんです。そういう光景もロケテで見たことがなかったので。意見を聞いてくれているというのが伝わると、話す側も話しやすいですし。それにすごく驚いたというか、感銘したところはあります。ほかにも、よくロケテのプレイヤーともお話はしていましたし、稼働以降もアミューズメント系のショーではいらっしゃっていたので、たびたびお話はしてました。

自分は結局、正式稼働前に当時の出版社をやめてしまって、お仕事的にところでご一緒するという機会はなく…。しばらくはお会いするたびに自分の名刺が変わってるとかもありましたけど(苦笑)。少し前に、お台場にVR ZONEの実験店舗を開設するにあたっての内覧会にいらっしゃってびっくりして。それからコヤ所長としてまた表に立つようになって。それでいろいろ取材する機会も増えたうえに、自社イベントでの講演も快諾いただいて。自分もゲーム関連がメインじゃないところの媒体にいるとは思ってなかったし、ビジネス色が強いところでの講演でご一緒するような未来は、ロケテ時代のことを思うと、全く想像できなかったです。

話がそれてしまいましたけど、ちょうどアイマス10周年ライブの映像配信が行われてますけど、1日目にはあの場に立って挨拶をしてくれたのはびっくりしましたし、本当にうれしかったことですね……。10周年の記事で小山さんに触れたのは自分だけだと思いますし(笑)。

本当は本稼働後の黎明期のこととか、なんで亜美真美がお気に入りなのかとか、もっと書くことがあるような気がしますけど、初期のころでも語るには時間が足りなさすぎますね……。アソビモット公式の後編もあることですし、それらを楽しみにしつつ、気が向いたらまた何か書きます。