増上寺の歴史

東京タワーの近くにた位置する浄土宗大本山増上寺

増上寺の三門である三解脱門は重要文化財に指定されています。また、東京都指定有形文化財には本尊である木造阿弥陀如来座像をはじめとする6点が登録されています。近くの駅や地名とされている[大門]も増上寺の旧総門のことから来ています。

まず増上寺は1393年酉誉聖聰上人が今の千代田区平河町付近に増上寺を創建されました。これはまだ室町幕府が倒れる前のことです。そこから転機が訪れるのが1590年のことで天下統一を果たした豊臣秀吉に関東への転封を命じられた徳川家康が江戸に入り当時の住職であった源誉存応上人と師檀関係を結びました。師檀とは檀家と寺僧の関係さらに言うと寺の人とその寺の信徒となり布教活動の援助を行い葬式 法事などを行ってもらう家ということです。

そして1598年今の増上寺のところに移転しました。

1605年征夷大将軍になったのもとで大造営が始まりました。そしてその17年後である1622年に重要文化財に登録されている三解脱門が再建されます。

しかし江戸は火事が多く1657  1668  1762  1806  1850年にも火災で増上寺が延焼しました。

度々建て直されてはいたのですが、徳川幕府が倒れると廃仏毀釈の運動が起こり危機に瀕しますがなんとか守ることができました。

しかし1873年に今度は本殿が放火され焼失しました。1909年の再焼失もしましたが1921年本殿が再建されました。

とにかく火事に見舞われた江戸明治大正時代でしたが、昭和になると戦争が始まり空襲による被害が出ます。

1945年東京大空襲で伽藍や御霊屋のほとんどが焼失してしまいます。それでも戦争が終わり1961年には増上寺会館というのが建てられます。そしてついに1974年今の大殿が再建されました。この時建設されたのが今私たちが見ることのできる大殿です。

こうして今に至りました。がしかし、計8回もの火事を乗り越えて今の増上寺があります。

最後に増上寺ではどのような神がまつられているかご存知ですか?

本尊である黒本尊と呼ばれる阿弥陀如来像でこれは勝運を招く神としてまつられています。徳川家康もこれを深く崇拝し戦の戦勝祈願をしたといわれています。この本尊の黒というのは人々の悪事災難を一身に受け止めていたので黒くなったともいわれています。

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