【諸説しかない】第1回後編


後編って事でね。
急に前後編にしてみた訳ですが、理由は簡単。
思いつくまでに時間が掛かるから。
後、長いと書くのも読むのも面倒だから。

んで、「新宿」ですわ。
前回は正しい歴史とされてる、甲州街道の宿場町として「内藤新宿」が生まれた話を書きましたが、
なぜ、内藤が取れたのか?
「内藤」で良いじゃん?
最悪、「内宿」とか「藤宿」で良いじゃん?
って事はライバルの仕業ですよ。
内藤さんのライバル…外松さん(男は松、女は藤って言葉があったから適当に付けました)
多分、主君の命に従って、返納した土地に自分の姓が付くなんて誉のはずなんですよね…知らんけど。
それに「内藤さんの新しい宿場」ならやっぱり内藤が呼び名になるんよ、普通。
でも、ライバルの外松さんはそれが許せなかったんですな。
同じような距離に、同じ様な広さの土地があるのに、選ばれなかった外松さん。
せめて内藤が定着しない様に、【内藤新宿を内藤と呼ばない運動】を繰り広げたんだね…分かるよ。
まぁ、彼の一族の努力?の甲斐あって、村人や旅人の中で新宿呼びが定着した…
ちなみに、何代か後の外松さんと内藤さん、一部に新宿区若松町と名付けることで和解になったとかならないとか…和解、松と。
なんてね。
こんな妄想諸説を垂れ流しますので…お暇な時にでも

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