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オミクロン株が見つかって二週間後に米国から帰国した私が見た2021年12月或日の天国と地獄とその記録。 の、インデックス

2021年一出入国者です。
前回ポストした記事について近親の友人・知人に明かした所、
「記事が長くて読む気がしない。」
「どうして一ページにしてしまったの」
「面白かったけど途中で寝てしまった」
と、大変不評をいただきました。見てくれただけでありがたいです。

他にも過酷な体験記として指を取ってクリックしていただけたようです。
ありがとうございます。

ですが、わかりづらい、との事だったので、各記事への直接リンクと記事の内容の要旨をまとめました。
完全にネタバレですが、下記のような内容になっております。


1.ことのはじまり。
  : 渡米のスケジュールと理由についてです。
(リンク先:https://note.com/2wksl8rb11529/n/n4cb7942d87b8#AMzuE)

2.帰国開始
  : 帰国手続きについてです。今は隔離期間は無くなったようですが、私が帰国した時は対象地域からの入国者は、突然検疫所が用意した宿泊施設への待機が義務付けられました。入国からそこまでのフローです。
(リンク先:https://note.com/2wksl8rb11529/n/n4cb7942d87b8#O9dtG)

3. 検疫所宿泊施設での滞在 ヴィラフォンテーヌ羽田空港編。
  :帰国者の一時待機施設に三日間いました。ここは最高でした。
(リンク先:https://note.com/2wksl8rb11529/n/n4cb7942d87b8#ACGTf )

4. 帰宅、そして。
  :帰宅した翌日に濃厚接触者に該当する事が告げられて、別の隔離施設(現在も軽症患者の待機施設になっている)に移動するまでの行政とのやりとりについてです。
(リンク先:https://note.com/2wksl8rb11529/n/n4cb7942d87b8#zETBW )

5.濃厚接触者は隔離のはじまり、はじまり。
  :帰国後濃厚接触者として23区内のアパホテルに移動させられました。持ち物リストや、ピックアップや建物の中での生活のフローについても書きましたが、特筆すべき事(そして記事を書くきっかけにもなった)部屋の酷さについて。ご飯が冷たい事もそうですが、

・床面積が通知されていた内容と異なり体操すら難しかった事。
  (更に狭い)
・足元に通風口があり机で仕事していると、風が吹き込んでずっと寒い事。
・加湿をしてもしても乾燥。
・窓の外は壁。日差しも全く入らない。かろうじて明るい、程度。
・せめて部屋の景色がある所に変えてほしい旨を伝えたら、常識では考えられない嘘を告げられたので問いただしたら、脅迫めいた代替案が上がったので断った事。
・それでも看護師や他の運営スタッフの人たちは大変親身に働いていた話。

と人的環境の休まり具合が80%、物理的環境の休まり具合が10%程度の貴重な体験談になりました。
(リンク先:https://note.com/2wksl8rb11529/n/n4cb7942d87b8#4Kzzp )

6.そして退出へ。
  :二日目にはコロナでは無い不調が出始めたので家に帰らせてほしいと行政に交渉しはじめ、仕事の都合もあって所定期間を短縮して退出した話です。この後、自宅で完全隔離の体制を取りました。
(リンク先:https://note.com/2wksl8rb11529/n/n4cb7942d87b8#FqRhl )

7.施設を後にして。
  :帰宅後、外部PCRを受ける必要があったのでその手順と、
14日間の隔離終了後に個人でPCRを受けた話。
と、
この隔離生活についての考察
です。
あの狭苦しく堪え難さと圧迫感しかなかったアパホテルの部屋の面積は法に適うものだったのか、果たして健康の維持に適しているのか、監獄のようだね、っていう友達の感想から日本や各国での監獄のあり方、各国の帰国者隔離施設との比較、窓がある事の心理的な影響、などに至るような至らないような点を簡単に考察しました。

滞在中に計測した各距離から作成した部屋の見取り図を元に、9日間滞在する予定だった部屋がどれくらい自由に動ける空間があったかを算出しました。
(この見取り図は周りで私的渡航や一時帰国を考えていた知人達が、一斉に計画を取りやめる理由としてふさわしいものとなりました。)
(リンク先:https://note.com/2wksl8rb11529/n/n4cb7942d87b8#gr94F )

8.終わりに
非常に疲れる経験だったので忘れたかったのですが、
帰国直前から帰国当日、更に帰国後も、十分な情報やフローの説明が提供をされる事がなく、ネットで発言力のある人たちから、帰国者は隔離施設がどんなに酷くても我慢を強いられて当然、という言説が強くなったのが居た堪れなくなりました。贅沢をしたい訳ではなく、誰かを傷つけるでもなく、自分を守りたいだけなのに。そのため、この記事を書くに至りました。
行政のみなさまにも状況の一例としてお伝えしたかったという思いと、ジャーナリストの方々はこの題材にもっと注視して取材して貰いたい、というお願いを書きました。

この投稿の後、文春の方が体験された記事があったのですが、他の隔離友達も滞在した所で、内容については間違いがありません。
聞いている話では東横ホテルが一番の隔離ガチャの当たりのように思えました。
(リンク先:https://note.com/2wksl8rb11529/n/n4cb7942d87b8#j21cj )

この後、オミクロン株が流行し、身の回りでも子供のいる家を中心に感染した友人が何人か出ましたが、誰一人として隔離時にアパホテルには当たらず、こまでひどい部屋で療養する人がいなかったのは、本当によかったと思います。

できれば、今後もこんな不幸に見舞わられる方が現れないよう(そして二度とこんな環境に誰かが行かなくても済むように)色々と整備される事を切に願ってやみません。

また、世の中の事情が刻一刻と変わり、新規感染者数もピークアウトして横ばいの日々が続いており、国際情勢も思いもしなかった方向に転換して、明日どうなるかわからない今日この頃で、この時はまだ平和だったなと思う事もあります。が、その平和な時期だったからでこそ、こういう話をもっと話すことも出来たのではないでしょうか。
そして今からでも変えられるのではないでしょうか。
これからは僅かにでも、世界がいいものになるといいですね。

それでは、ここまで読んでくれてありがとう!
Stay Safe and Peace!

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