見出し画像

おなかがへっている

牛乳プリンめちゃめちゃ食べたいな・・・
多分使った画像先の方に通知が行くっぽいと気づいたので前置き。
かわいらしいお写真、ありがとうございます。本題が全然関係ない話ですいません。


本題。今おなかが減っている状態でこの文章に取り組んでいるんだけども、
その直前に「自己肯定感」の話を何となくしたばかりで、そうなると自己肯定感のなさってそもそも「おなかが減る」と同義または類義なのじゃないか…っていう、薄らぼんやりした仮定をひらめいたのでちょっと書いてみることにした。

自己肯定感とは

自らの存在意義や価値などに関する積極的な評価
自分自身を価値のある存在として肯定できる感情のこと

こうなると、なんかちょっと違う気がしてきた。
でもこのままいく。仮定なので。
自分の存在を価値のあるものとして肯定できないことで、自分というものがあいまいになり、その結果人に認められることを欲する、という流れで承認欲求が生まれるのだろうと思っている。違うかもしれない。
もうすべてが違うかもしれないけどポンポンいこうとおもう。

自分が存在していること、つまり生きていること。生きるために必要なこと、栄養素。その栄養素が足りていない状態、おなかがへっている。
自分が存在しているだけで価値があり、よいとすること。自分が満たされていると感じ、幸せだと認識できていること。つまり、満腹だ。

おなかが減っていたら、何もできない。できることはあるかもしれないけど、普段通りの、自分の全力は出しにくくて、性能も下がると思う。じゃあどうするかって、食べるでしょう。食べたいものでも、ありあわせの何かでも、インスタントでも、何かを口に入れて、咀嚼して、飲み込む。たちまちおなかの中からじんわり暖かくなって、よーし!やるぞー!って元気が出てくる。食べた物によるかもしれないけど。

自分を生かすために必要なのは自分のためにとる栄養で、自分を本当の意味で認められるのは自分が満腹である、自分の中に満たされているという感情がある、ということと考えると、おなかがへった状態というのはよくないなあ…と思ったりして、こんなに支離滅裂になるのも自分が今定義のおなかが減っている状態だからじゃないかな…と思って、よし。ご飯食べよう!

自分が目にする・耳に入れる言葉に含まれた栄養も結果自分が選んだものになるわけだから、じぶんが心地よくて、おいしいものを選びたいね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?