The Comfort Women Issue【日本語版】 4.完全に解決している日韓の戦後補償

 韓国独立後、李承晩、張勉、朴正熙3代の政権は日本から請求権資金をなるべく多く取るべく国交正常化交渉に臨んでいました。しかし、その中で慰安婦に対する賠償を求めたことは一度もありませんでした。歴史の実態を知る時代には、慰安婦に対して日本政府から賠償が取れるなどとはだれも考えなかったのです。1965年の協定で両国の戦後処理は「完全かつ最終的に解決されたものとする」(「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する協定」第2条の1項)とされました。

 1965年の協定にもとづき日本は韓国に無償供与3億ドル、有償借款2億ドルの資金提供を行いました。当時日本の外貨準備高は18億ドル程度であり、5億ドルは小さな金額ではなく、10年分割で支払いました。韓国政府が発行した「請求権白書」によると日本が提供した5億ドルの資金は「漢江の奇跡」と呼ばれた1966年から1975年までの韓国の経済成長の約20%の寄与があったと計算されています。韓国政府はその資金で高速道路、ダム、製鉄所などのインフラを作り、また独立運動功労者への補償やその子弟への奨学金などに使ったのです。戦中の徴用、徴兵などの被害者に対しては死者に対してのみ補償金を出し、負傷者を含む生存者には特別な被害補償をしませんでした。徴用や徴兵と違って民間業者に雇われていた慰安婦への補償はなかったのです。これはすべて韓国政府の政策判断でした。植民地統治の被害は国民全体が被ったのだから、生産財に日本から資金の大半を用いて、その果実を国民全体のものにすべきだという当時の韓国朴正熙政権の哲学がそこにありました。


 1992年の日韓首脳会談で盧泰愚大統領が慰安婦問題を取り上げ、宮沢首相は人道的立場から謝罪を行ない、翌93年河野洋平官房長官が談話を発表して政府としての謝罪を確認しました。その上で、政府が事務局運営費などを負担し国民から約7億円(570万ドル)の寄付を募り元慰安婦に伝達しました。しかし、一部の韓国人元慰安婦がそのお金の受領を拒否し、日本政府による公式謝罪と公的補償の実施を要求して運動を続けています。韓国政府に登録している元慰安婦総数は237人、2014年2月現在の生存者は55人ですが、登録者総数のうち過去に日本の官民共同の「アジア女性基金」から 補償と歴代首相の慰労・謝罪の書簡を受け取った人が61人います。
註17) 産経新聞2014年2月10日黒田勝弘コラム