日韓関係の原点 3つの約束も「ゴールポスト」動かす韓国 酒井充 2019.12.20

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 いわゆる徴用工や慰安婦に竹島(島根県隠岐の島町)、最近では日本の対韓輸出管理厳格化、日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)と、日本と韓国の間には多くの問題が横たわっている。これらは長い歴史の積み重ねが表出した問題で、今に始まったことではない。

 一方、火種を抱えつつ、外交手段で円満な関係を築くのが政治の重要な役割でもある。その知恵の結晶が条約などの国際法や当事者国が発出する共同宣言だ。日韓関係が冷え込んでいる今、戦後に両国間で結ばれた(1)1965年の日韓基本条約・請求権協定(2)98年の日韓共同宣言(3)2015年の慰安婦問題をめぐる日韓合意-の3つの「約束」を振り返る。(肩書は当時)

韓国は「戦勝国」にあらず
 日韓の戦後史の前提として、押さえておくべきことは「日本と韓国は戦争をしていない」ということだ。1910年の日韓併合から45年の日本の先の大戦における敗戦まで、韓国(朝鮮半島)は日本の統治下にあった。その間、戦火で半島でも多くの犠牲者が出たが、日本と韓国が戦ったわけではない。

 48年に北朝鮮と分かれて建国宣言した韓国は、日本が英米などと調印した51年のサンフランシスコ平和条約に「連合国」側としての参加を希望していた。しかし、英米などは「日本の一部だった」との見解で参加を拒否したことからみても、韓国は「戦勝国」ではない。

 従って一般的な賠償の義務は日本にはなかった。とはいえ、人道的な観点からも日本側は「戦後賠償」的なものが必要との認識に立っていた。

 賠償を含む国交正常化に向けた交渉(第1次会談)は52年2月にスタートしたが、困難を極めた。交渉開始直前の同年1月、朝鮮戦争の最中だった韓国は竹島を含む公海上に「李承晩(イ・スンマン)ライン」を設定。54年6月には武装要員を常駐させ、実効支配を進めていった。竹島は歴史上、日本固有の領土である。日本は国際司法裁判所への付託を求めたが、韓国は拒否した。竹島の不法占拠はいまも続いている。

妥協の産物だった国交正常化
 こうした問題を抱えつつ、日韓会談は足かけ14年、第7次まで行われ、非公式会合も含めると1500回以上に上ったという(李鍾元、木宮正史、磯崎典世、浅羽祐樹著『戦後日韓関係史』、有斐閣アルマ)。

 最大の懸案は、日本の統治時代への認識だった。日本には、韓国併合は合法的に行われ、朝鮮半島の近代化にも貢献したとの思いがあった。実際、交渉の過程で日本側首席代表の久保田貫一郎は53年10月の会談で「植民地統治は良い面もあった」との趣旨の発言をした。

 しかし、韓国から見れば、併合は武力を背景とした侵略であり、統治も不法だとなる。この歴史認識の溝は現在もこじれている日韓関係の底流として根強く存在している。

 とはいえ、当時は米ソによる冷戦まっただ中。韓国を対ソのとりでとしたい米国の思惑もあり、反共では日米と一致していた韓国にも妥協の余地はあった。

 粘り強い交渉の結果、65年に調印したのが日韓基本条約と日韓請求権協定だった。両国はこれで国交を回復し、現在に続いている。

 請求権協定で日本は無償3億ドル、有償で2億ドル、さらに民間投資で3億ドルの計8億ドルを支払うことで合意した。当時のドル換算で2880億円に上り、韓国の年間予算の2倍以上に相当した。これ以外にも日本が統治時代に半島に残した多額の債権も放棄された。

 条約や協定に日本側の謝罪は明文化されず(口頭では行われた)、一方で、日本が批判する韓国による竹島の不法占拠も棚上げとなった。日本にとって多額の支払いは発展途上の韓国に対する「経済協力」で、韓国にとっては植民地支配の「賠償・補償」と双方が都合良く解釈できるという妥協の産物だった。

 何よりも重要なことは、協定で「両締約国およびその国民(法人を含む)の財産、権利および利益並びに両締約国およびその国民の間の請求権に関する問題」が、「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」と明記したことだ。

 対立する国が永遠に補償や謝罪を求め続けていたら友好は成りたたない。だからこそ2国間の協定で明確に確認する必要があり、その後に「ゴールポストを動かす」ことは約束違反となる。もちろん、日本はきっちりと支払った。条約・協定に明記していない統治下の「おわび」や「反省」も何度となく歴代首相らが行っている。

円満期に浮上した「慰安婦問題」
 この後も断続的に対立があったとはいえ、比較的円満な時期が続いた。今年11月に101歳で死去した中曽根康弘氏は首相就任後の1983年1月、初の外遊先に韓国を選んだ。中曽根氏は韓国語でスピーチを行い、全斗煥(チョン・ドファン)大統領と個人的な信頼関係を築いた。

 一方、現在に通じる不穏な動きも出始めていた。82年9月、朝日新聞は吉田清治氏が慰安婦を強制連行したと証言したとする記事を掲載した。91年12月には韓国の元慰安婦が日本政府を相手に賠償を求めて提訴した。92年1月に朝日新聞が慰安婦の強制連行に旧日本軍が関与したことを示す資料が見つかった、と報道すると、直後に訪韓した宮沢喜一首相は慰安婦問題を謝罪した。

 退陣が決まっていた宮沢政権末期の93年8月には、河野洋平官房長官が慰安婦問題に関する談話を発表した。談話では、政府の調査の結果、慰安所の設営に旧日本軍が関与したと断じ、半島出身者も含めた慰安婦の募集についても「本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、さらに、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった」と結論づけ、「心からおわびと反省の気持ち」を表明した。河野氏は談話を発表した記者会見で、強制連行について「事実だ」とも述べた。

 しかし、その後の政府の検証で、強制連行を示す具体的な証拠がないまま談話が作成されたことが明らかになった。後に朝日新聞は慰安婦報道の一部を取り消したが、「強制連行」「性奴隷」は日韓両国内にとどまらず国際的に広まり、一人歩きしていった。

 事実や証拠に基づかない日本への汚名が広まる中、日韓両国に再び転機が訪れる。日本との関係が深い金大中(キム・デジュン)氏が大統領に就任し、来日した98年10月に小渕恵三首相との間で日韓共同宣言(21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ)を発表した。

 共同宣言で日本は韓国との公式文書としては初めて「痛切な反省と心からのおわび」を明記した。韓国はそれを「評価」し、「両国が過去の不幸な歴史を乗り越え(中略)未来志向的な関係を発展させる」ことが時代の要請だと表明した。

 つまり両国の首脳が一致して「過去の清算」が行われたと確認し、今後は「未来志向」の関係を構築することを確認したわけだ。65年の日韓基本条約と請求権協定は国交正常化のためであり、経済協力(=賠償)が主な目的だったが、98年の共同宣言はそれを深化させ、未来志向の関係を再確認したといえる。

「日韓合意」も解決にならず
 日韓共同宣言を機に、韓国で禁止されていた日本の大衆文化は段階的に解禁され、2002年にはサッカー・ワールドカップ(W杯)を日韓で共催した。その後、韓国ドラマ「冬のソナタ」や韓国の歌、食べ物が日本で流行する「韓流ブーム」が到来。日韓両国はようやく過去を乗り越えた…と思いきや、またも時代は逆の方向に進んだ。

 慰安婦問題をめぐる日韓の溝は相変わらず深く、11年12月に市民団体がソウルの日本大使館前に慰安婦像を設置した。外国公館前での侮辱行為を禁じたウィーン条約に反する行為だが、韓国側は黙認した。12年8月には李明博(イ・ミョンバク)大統領が現職大統領として初めて竹島に上陸。天皇陛下に対し「韓国を訪問したいのなら、独立運動で亡くなった方々に対し心からの謝罪をする必要がある」とも要求した。

 安倍晋三首相が12年12月に再登板すると、事態は大きく動き始めた。こじれた日韓関係打開のため、15年12月に慰安婦問題に関する「日韓合意」を発表した。

 日本はこの中で、慰安婦問題について「心からおわびと反省の気持ち」を表明した。元慰安婦の支援を目的とした財団を設立し、日本の予算で資金10億円を拠出することを約束した。韓国も受け入れを表明。そして両国は「今回の発表により、この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」とし、「今後、国連等国際社会において、本問題について互いに非難・批判することは控える」ことを確認した。

 慰安婦問題に限った対応とはいえ、1998年の日韓共同宣言で確認した未来志向の関係を17年後に再び確認したわけだ。

 しかし、ゴールポストはまたも動いた。日韓合意時の朴槿恵(パク・クネ)大統領が失脚し、2017年5月に文在寅(ムン・ジェイン)大統領が就任すると、韓国側の事情で事態の悪化が続く。

 18年10月、韓国大法院(最高裁)は日本企業に対し、いわゆる徴用工への賠償を求める判決を出した。朝鮮半島統治下の個人への請求権は1965年の日韓請求権協定で消滅している。韓国政府も、文氏が側近として支えた盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権下の2005年8月、元徴用工への補償は1965年に日本から得た無償3億ドルに「包括的に勘案された」との立場を示していた。何よりも文氏自身が2017年8月の安倍首相との電話会談で「日韓の請求権問題は解決済み」と確認している。

 しかし、文氏は立場を変え、国際法違反の状況を放置するどころか、反日世論をあおっているのが現状だ。日韓合意で設立した財団も18年11月に解散を発表した。

 18年12月には日本海で韓国海軍の駆逐艦による海上自衛隊哨戒機への火器管制レーダー照射事件が起きた。挑発行為の明確な証拠を日本が突き付けても、韓国はいまだに認めていない。

 安全保障上の懸念から日本が今年7月に踏み切った半導体材料などの対韓輸出管理厳格化や、その後の優遇措置対象国からの除外にも韓国は反発。GSOMIAの破棄も通告してきた。

 GSOMIAは11月23日の失効直前に韓国が方針を転換して破棄を回避したが、日韓関係に明るい展望はない。自民党内には「文大統領が交代するまで事態は動かない」との声が漏れるほどだ。(政治部 酒井充)

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