トラビスのすゝめ
たまに、幽体離脱する。
物理的ではなくて、精神的なそれ。
私じゃなくて、「相手の想定解」という名の世界が勝手に私を操作して話しはじめる。そのとき私は「ああ世界が喋ってんなあ」と冷静に外側から見ている。後々、自分が発した言葉の荒さに吐きそうになるほど後悔して、絶対に次は自分の意見を言うぞと意気込むけど結局無理。「世界くん」に自分を譲らないとそれはそれで、他者との関係がうまくなりたたなくなる気がするから。だからみんなちょっとずつ我慢して「世界くん」に自分を明け渡しているんだと思う。そうやってうまくこの世はまわっているんだ。きっとみんなそうなんだ。そうに違いない。
「自分らしさ」は蜃気楼だ。これが「自分」なんて絶対的な解はないし、他者の影響を強く受けて歪む。自分が納得する答えにたどり着いたら、また「自分」はその時点で塗り替えられる。翻弄され続ける、永遠に届かない蜃気楼。
そんなとき、「世界くん」に喋らせてしまえば、相手はうんうん、言って大満足。だって、貴社の企業理念や、求める人物像に沿う「世界くん」がしゃべってますから。
自分が苦手なことも、「世界くん」に任せれば大丈夫。愛想笑いも、オーバーリアクションも、全くはまらない人気アニメを「最高だった!」というのも「世界くん」に任せよう。
きっと大人になるというのは、「世界くん」とうまく付き合えるようになるということなんだと思う。だって、社会人の話し方は似ている。きっとみんな「世界くん」に喋らせているんだね。
もしかしたら、就職活動は「世界くん」と仲良くなるための準備期間なのかもしれない。気持ち悪くならない幽体離脱の術を身に着けたり、ずっとその不快感を我慢するメンタルを鍛えたり。
この世の中は、映画「タクシードライバー」に共感できる人と、全く共感できない人に二分されると思う。つまり、「世界くん」と仲良くする気がない人か、「世界くん」と仲良くできる人もしくは無理矢理にでも仲良くする人。「世界くん」と仲良くできなかったトラビスは途中多くの人に白い目で見られたけど、最後ヒーローになった。「世界くん」と仲良しだったベティは優秀で周囲からの信頼も厚かったけど、最後トラビスに振り向いてもらえなかった。どっちが上手な生き方なのかは分からない。
だけど、きっとベティの面をかぶったトラビスはきっとこの世にはたくさんいる。そして間違いなくその生き方は不器用で、苦しい。
私は「世界くん」と仲良くなろうと思う。身体を明け渡す時間をすこしずつ長くする練習から始めよう。そうしていくうちに、気持ち悪くならずに幽体離脱できるようになるはず。たぶん、それを大人は「社会に出る」と言うんだ。社会を知って、「世界くん」を成長させる。そして、たまには、「それ私に言ってるの?」って強気な態度で「世界くん」を身体から追い出そう。そうしないと、私が戻ってこれなくなりそうだから。無理せずに、少しずつ。
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